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【教育】学校組織づくりについて考える①
学校では日々、様々な取り組みが行われています。今は文化系の行事へ向けて取り組みはじめている学校が多い頃でしょうか。
行事以外にも授業改善や児童・生徒の生活に関することなど、教育活動の質の向上をめざした取り組みが常に行われていると思います。教職員が一丸となって同じ方向へ向かって取り組めば、教育活動の質は最大限に高まるでしょう。しかし、その「一丸となって・・・」という部分が難しく、特に学校の組織づくりは簡単ではないといわれます。それはなぜでしょうか?
私自身、「組織の一員として意識して働いてきたか」と問われれば、反省点はたくさんあると思います。事実、自分の学級や授業に焦点を当ててきたように感じるからです。では、組織の一員として私はどのように考え行動していく必要があったのでしょうか?大学院での学びを通して、それにはまず「組織」とは何かについて知ることから始まると感じました。今回から3回に渡って、学校組織の一員になるために必要な「理解しておくべき3つの視点」についてお伝えしたいと思います。
組織ってなんだろう?
そもそも「組織」ってなんでしょう?何人くらいから「組織」と呼ぶと思いますか?また、組織であるためには「目的」が必要なのですが、「目的」と「目標」の違いってなんでしょう?「目的を達成させるために目標がある」のか「目標を達成させるために目的がある」のか、どちらだと思いますか?少し考えてみてください。
これは以前に、こちらの記事でも書きました。
組織の構成要素
「組織」とは2人または2人以上で構成されます。では、家族は「組織」と呼ぶことはできるでしょうか?それは違います。組織の人数は2人以上ですが、それに加えて右の3つの要件を満たすことで、「組織」は成立します。ではこの3要件について見ていきましょう。今回は、「共通目的」を取り上げます。
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共通目的
先の質問の答えになりますが、目的を達成させるために目標があります。どのような目的を設定するのか、目的の内容がどの程度周りに理解されているかが組織の存続や成長を左右するため、この共通目的はとても大切です。共通目的がはっきりしていない(それが共有できていない)と、それぞれが目標を勝手に作ってしまい、結果的に「それはどこへ向かう目標なの?」ということになりかねません。
協働的理解と個人的理解
目的が資料に記載されれば共有されたようにみえますが、個人の解釈が違うことがあります。例えば資料に「夢に向かって頑張ることができる子を育てましょう」と書かれていたとしても、それで共有されたことにはなりません。なぜならその子ども像について隣の先生や他学年の先生たちと話し合った際に、個人的理解により解釈に違いが出る可能性が生じるからです。なぜ意見が違ってしまうのかというと、他の先生方と同じ何かを共有できていないからです。もし「本校の子どもたちには○○という課題があります」とか「全国の学力テストで平均点を超えたことがないのが課題ですね」等と伝えられていれば、先生方が抱く「夢に向かって頑張ることができる子」の解釈は少し方向性を持つことになるでしょう。これが協働的理解です。きちんとその目的に至った経緯などを共有しておく必要があります。
組織目的と人格
組織の目的には2つあります。「単純で有形的」なものと「無形的(一般的)」なものです。それに関わる人たちが持つ2つの人格についても一緒に触れます。
有形的な目的と無形的な目的
数値目標(有形的)を掲げるととても分かりやすいと思います。「漢字検定の合格率60%をめざしましょう!」というと、とても分かりやすいですよね。ここに個人的理解は入りませんから、両者の間に矛盾が生じることは稀です。一方で無形的(一般的)なものというと、「夢を持つ」「成績を上げる」といったもので、個人的理解が関わってきますので両者の間に矛盾が生じることが多いです。
これだけ聞くと「有形的」な目的を掲げるべきだと捉えられそうですが、そうではありません。目的は適度に有形的であり、一般的なものでないと駄目なのです。これが人をつなぐ要となります。
組織人格と個人人格
何かしなければならないと学校で決まった時に、「私はそれに賛成できないのでできません」という人格の側面を個人人格と呼びます。個人的な目的や動機を満たすために合理的に行動する人格です。一方で「私は賛成できないししたくもありませんが、会議で決まったことなのでそれだけはします」というように、個人が組織の共通目的のために合理的に行動する人格の側面があります。それを組織人格と呼びます。
どちらがよいというわけではなく、人はどちらの人格も持ち合わせているのだと思います。普段どれほど組織人格の側面を全面に出していたとしても「絶対に譲れない」という部分は必ずあります。教職員一人ひとりが教育のビジョンを持っているわけですから、学校のビジョンと先生方のビジョンをきちんと擦り合わせていく過程が、時には必要かもしれません。
まとめ(共通目的)
学校として共通目的(ビジョン)は絶対に必要です。しかし、ビジョンがあったとしても「個人的理解×個人人格」の組み合わせになってしまっては、それぞれが勝手に解釈して自分のしたいことだけをするということですから、組織としては上手くいきません。裏を返せば、ビジョンがきちんと共有されていないと、そういうことが起こり得るということです。組織が上手く成り立つには「協働的理解×組織人格」の組み合わせでなければなりません。
下に、私なりのイメージ図を描いてみました。様々な取り組みがありますが、全て共通目的へ向かってステップを踏んでいるというイメージです。
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ここには教職員全員が関わり、同じ方向へ向かって進めていく必要があります。全ての人が同じ目的をいえることやその具体像を伝えられるようになることは、組織としての第一歩かもしれません。学級経営や部活動などにおいても、おそらく同じことが応用できるのではないでしょうか。なお、一つ加えると、矢印は一方向ではなく、現在から目標間を行き来したり、各学年や教科の間を行き来したりするものだと思います。スパイラル的に目的に向かっていくイメージでしょうか。
学校組織の一員として考えていきたいこと
学校教育目標はビジョンです。学校としてはこのビジョンへ向かって学年の目標が立てられ、それを達成するために学級目標を立てる必要があるわけです。私が担任で学級目標を立てていた時は生徒たちと一緒に考えて作っていましたが、そこに学年目標を取り入れるという意識がなかったため、このことを知ってドキッとしました。つまり、子どもたちとも学校のビジョンを共有しておく必要があるわけです。そう考えると、授業の単元開始時に「この単元ではこういうことを、こういう力をつけるために学びますよ」と伝えることと同じだということが分かります。