26_問題点の捉え直し 【山の日本語学校物語】
これは、とある町に開校した「山の日本語学校(仮名)」の物語です。PBL(Project-Based Learning:プロジェクト型学習)を通して、ITエンジニアがどのように言語を学び、専門性を身につけていったのか、また、語学を専門とする日本語学校が、どのような組織として、専門領域や地域社会と結びついていったのか、さらには、そこでの教師の役割などを探究していきます。
下記のマガジンで連載しています。
今回は、まず、1stプロジェクトを終了した段階で、どんな問題点があったのかを整理したいと思います。1stプロジェクトでどのような学びがあり、どんなことを問題だと感じていたのかは、下記記事に詳しく書いています。
25回の記事では、1stプロジェクトでの「学び」を中心に書いていますが、今回は「問題点」にフォーカスしたいと思います。プロジェクトをデザインする際、現状を正確に認識し、問題の本質を捉え直すことが重要なステップだと考えるからです。
2つの問題点
1stプロジェクトでは、次の2つの大きな問題点が浮かび上がってきました。
プロジェクトを「自分ごと」として捉えられない
日本語学校とITエンジニアコミュニティが解離している
以下、この2点に絞って、分析、整理していきます。
プロジェクトを「自分ごと」として捉えられない
1stプロジェクトを終えて、いちばん大きな問題だと感じたのが、プロジェクトを「自分ごと」として捉えられないということでした。1stプロジェクトは、来日して初めてのプロジェクトでした。まだ日本語でのコミュニケーションがままならない状態で始めたプロジェクトであり、PBLという学習形態も学生にとっては初めてのものでした。これまで学生が経験してきた「言語学習」とずいぶん異なったものになります。
そこで、1stプロジェクトのコンセプトやその進め方は、教師側でデザインしました。学生が生活を始めた「みどり町(仮名)」とはどのような地域なのか、どんな人が暮らしているのかなど、全くわからない状態で、「みどり町の課題を抽出せよ」という、ある意味無茶振りとも言えるコンセプトを提示しています。「自分ごと化」できなかったのは、当然と言えば当然だったと思います。
一方で、1stプロジェクトの目的であった地域を知り、そこで暮らす人とのつながりをつくること、さらに、「プロジェクト型学習」における「学習」を体験するという点では、十分に課題を達成していたと思います。
とはいえ、「プロジェクト型学習」で最も重要な「課題を自分ごととして捉える」ことができなかったのは問題です。実際に、最後のプレゼンテーションを見た会社役員やITエンジニアからは「やらされている感」が半端ないという指摘がありました。
これは、内部にすっぽりハマり、プロジェクトをなんとか成功させなければと、躍起になっている教師の立場では、なかなか感じることができない感覚でした。学生も決してサボっていたわけではありません。真剣に取り組んでいたにもかかわらず、このような印象を与えていたのです。この指摘は、しっかり受け止めて分析しなければならないと思いました。
なぜ、「やらされている」という印象を与えてしまったのか。私は、以下の3つの要因があると分析しました。
自分たちの関心ごとをしっかり掘り下げる機会を作らなかった
「プロジェクト型学習」における教師の役割が十分に浸透していなかった
評価を意識した活動になってしまった
まず、一つ目は「活動デザイン」の問題です。1stプロジェクトでは、自分たちの関心ごとがはっきりしないまま、プロジェクトを始めてしまったことが原因だと感じました。
例えば、あるチームは、「いろいろ」というテーマを設定しました。「いろいろ」はテーマにならないから、もっとテーマを絞るべきではないかと何回か指摘したのですが、掘り下げるための活動や時間は、十分に取りませんでした。結局、最後までテーマが定まらないまま、「とりあえず」テーマを決め、プレゼンのためのアイデアを練っていくことになりました。限られた時間でテーマを深めることができず、「とりあえず完成させた」という状態になったことは否めません。その点が「やらされている感」につながったと考えられます。
次に、「教師の役割」について考えてみます。
学生たちがこれまで経験してきた教師の役割というのは、おそらく、「教える人」であったのだと思います。すでになんらかの正解を知っていて、困ったときには、その正解を教えてくれる人であったのではないかと思います。しかし、「プロジェクト型学習」では、教師は「教える人」ではありません。教師にとってもわからないことを、一緒に考えて進めていかなければなりません。
「プロジェクト型学習」において、教師は、ファシリテーターという役割が求められます。(「ファシリテーター」とは何かについては、もっと掘り下げる必要があると思いますが)頭ではわかっていても、これまで身につけた、いわゆる「教える人」としての「教師」の役割から脱却するのは、なかなか難しいことです。無自覚であったとしても、なんとなく権威的な振る舞いをしてしまいます。
そして、これは、教師だけでなく学生も同じです。「教師」に聞けば、なんらかの答えがもらえると思っていたり、教師が持っているであろう「正解」を探ってくることもあります。これまでの長い学校教育の中で身につけた「学生」という役割を拭い去るのは、学生にとっても難しいことです。これが、「やらされている感」につながったのではないかと思います。
三つ目の理由が「評価」です。
「プロジェクト型学習」では、点数による評価ではなく、「振り返り」によって、自分たちの経験をメタ的に捉え直すということを重視してきました。しかし、このような「評価」は、点数による評価とは全く観点が異なります。実際に学生からは、「テストをやってほしい」というリクエストもありました。「点数による評価」がなく、「評価」の観点が異なることが理解できないままプロジェクトが進行した結果、最後のプレゼンテーションを「評価のためのプレゼンテーション」と捉えてしまった学生もいました。
その結果、アイデアの質よりも、プレゼンテーションをいかにうまく見せるかに注力してしまった事実も否めません。これは、24回「プロジェクト型学習」における評価でも書いたのですが、アイデアを深めるためのツールとして用意した「ルーブリック」を、点数による評価表と捉えていた学生もいました。
このような認識の違いから、プロジェクトで扱ったアイデア自体が、自分の中から湧き出してきたものではなく「見せるためのアイデア」になっていたのではないかと考えられます。この点も「やらされている感」につながったのではないかと思いました。
以上のように「やらされている感」というキーワードから分析をすると、「教師の役割」とか「評価」という学校教育という文脈となかなか切り離せない要素が、自分ごと化できない要因に関係していたのではないかと推察できます。
日本語学校とITエンジニアコミュニティが解離している
次に、「日本語学校という組織のあり方」から問題を整理してみます。これは、先に書いたように「自分ごと化」できない要因とも関係しています。
1stプロジェクトの最後のプレゼンテーションを見た会社役員やITエンジニアからは、プレゼン終了後、かなり厳しい意見がありました。確かに日本語はうまくなっているけど、アイデアの中身やプレゼンの質は、評価の対象にすらならないというものでした。その意見は、「山の日本語学校」を「学校」と捉えている教師や地域住民とは異なるものでした。「プロジェクト型学習」で、ITエンジニアを育成するという提案をしたのは私ですが、「日本語教師にできるのか」「このまま任せておいて大丈夫なのか」という疑問を感じたようです。
なぜ、このような評価になってしまったのか、当時はずいぶん悩みました。そして、1stプロジェクトが終わった後、会社役員やITエンジニアと様々な話し合いをしました。そのときに気がついたのが次のようなことです。
会社役員やITエンジニアは「学校」という組織を外側から捉えています。普段「学校」という組織の内側にいるとなかなか気がつかないのですが、「学校」という組織を外側から見たとき、IT企業とかITエンジニアの属するコミュニティとは異なる文化を持つ、ずいぶん異質な組織に映ったのではないかと思います。
この点は、逆の視点から捉え直すことができます。教師である私は、IT企業という組織がどのようなものなのか、ITエンジニアのコミュニティがどのようなものなのかが見えていませんでした。ITエンジニアがどのような文化を持っているのかを全く知らないまま、プロジェクトを行っていたことになります。
これまで「日本語学校」という文脈で、組織運営をしてきたのですが、ITエンジニアの育成を目指すのであれば、まず、私自身がもっとITエンジニアについて知らなければならないと思いました。そして、「日本語学校」という組織のあり方自体を変化させていくことが必要だと思いました。
「脱学校」は、学生よりも、むしろ私の問題でした。この大きな問題を、学校の外側に属する会社役員やITエンジニアから突きつけられたように思いました。ここをなんとか乗り越えなければならないと思いましたが、組織の変化は、その組織を構成するメンバーにも関わる問題なのでそう簡単に解決できるものではありません。組織の変化にはある程度時間が必要だと思いました。
一方で、ITエンジニアのコミュニティにすっかり入れ替わってしまうことにも違和感がありました。そもそも私は日本語教師であるし、ITエンジニアになるつもりもありません。全く別のものに変化するのではなく、むしろ「学校」という文脈を活かして、目指す組織への中継点となるような、柔軟にあり方を変えられるような組織として存在するほうがおもしろいのではないかと思いました。
どのような組織として存在するのかを試行錯誤しながら、いろんな人を巻き込んでそのあり方を探っていくのも一つの「学び」ではないかと考えたのです。「山の日本語学校」は、開校後、1期目を終えたばかりで、新しい組織の形を創造していくことを必要としていました。これまでの「日本語学校」のイメージとは異なる組織のあり方を模索していくことが必要だと考えました。
以上が、1stプロジェクトを終えた段階の問題点です。プロジェクトをデザインするためには、まず、現状を正確に認識した上で、コンセプトを検討していく必要があります。そのためには、このような問題の分析が欠かせませんでした。
次回は、この問題の捉え直しをもとに、どのように2ndプロジェクトのコンセプトを設定していったのかについて書きたいと思います。
参考文献
記事のテーマに合わせ、考えを整理するのに参考とした書籍や文献を備忘録的に記録しておきます。今回は、下記を紹介します。
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