AIでは代替できない言語教育とは?
先日書いた下記の記事に予想外の反響があり、ちょっと戸惑っていますが、今回も、「AI」というバズワードに果敢に挑戦してみたいと思います。(お読みいただいた方、本当にありがとうございました!)
日本語教師は、Google翻訳以上のパフォーマンスを発揮できるのか
若干、プレッシャーを感じつつも、今回はこの「問い」の答えとなり得る実践について書いてみたいと思います。
結論から言うと、私は、言語教師には、AIに代替できない役割があると思っています。(ここではあえて、日本語教師でなく言語教師という言葉を使いたいと思います)そして、それが、今後の言語教育のあり方を示唆するものではないかとも思っています。
AIができること、できないこと
前回の記事では、こちらのTED TALK を題材に、Google翻訳の精度を見てみました。改めて日本語訳の部分のみ再掲します。
Google翻訳で生成された日本語
だから、私は言語を使ってあなたと話しています...できるからです。 これは人間が持っているこれらの魔法の能力の1つです。 私たちは本当に複雑な考えをお互いに伝達することができます。 だから私が今やっていることは、私が息を吐くように私の口に音を出すことです。 私はトーンとヒスとパフを作っており、それらは空気中で空気振動を作り出しています。 それらの空気の振動はあなたのところに行き、彼らはあなたの鼓膜に当たっています。そして、あなたの脳はあなたの鼓膜からそれらの振動を取り、それらを思考に変換します。 私は願います。
TED動画につけられていた日本語訳
私は言葉を使って 皆さんにお話しします— そうできますので これは人間の持つ 不思議な力のひとつです とても複雑な考えを 伝え合うことができます 私が今しているのは 息を吐きながら 口を使って音を作るということで かすれた音や はじける音を出し それが空気を振動させ その空気の振動が 皆さんのところに届いて 鼓膜にぶつかり その鼓膜の振動を 脳が 思考へと変えるのです 願わくは
前回は、「そんなに大差ない」と、ちょっと乱暴な書き方をしましたが、おそらく、言語を扱っている者であれば、様々な気づきがあるはずです。確かに、文意という点においては、Google翻訳もほぼ伝わる日本語になっています。しかし、よくみると、プロの翻訳家がつけた日本語訳は、かなり短くシンプルになっています。どの部分が省略されているのかを細かく見ていくと、「あなた」とか、「それら」などの代名詞が省略されているのがわかります。Google翻訳では、英語から日本語へ翻訳する際、youとか thoseのような単語は省略されず、そのまま日本語に直しているようです。
これらの代名詞は、なくても意味が通じます。むしろないほうがわかりやすい。しかし、Google翻訳は、省略しません。なぜなら、省略しても意味が伝わるかどうかを判断するには、文の意味を理解しなければならないからだと考えられます。そうは言っても、近い将来、省略してもいい代名詞と省略できない代名詞のパターンを、AIが学習する可能性はあると思います。しかし、現時点では、文脈から判断するしかなさそうです。
さらに、TEDのような動画への字幕の場合、一度に見せられる文字数には制限があります。つまり、それだけ、言葉を厳選しなければなりません。このような言葉の扱い方は、「現段階では」人間の手に拠らなければならないようです。
言葉を省略するということ
なぜ、このような説明を改めてしたのかというと、実は、この「言葉を省略する」ということが意外と難しいことだと感じているからです。私たち言語教師は、語彙や表現を増やす、使える文法を増やすということを意識しがちで、言葉を減らすということはあまり考えません。しかし、今後、Google翻訳のような自動翻訳ツールが日常的に使われるようになった場合、今までとは逆の発想が必要になるかもしれないと思うのです。
そこで、ここからは、私の実践を例に、今後どんな言語教育が必要かについて書いてみたいと思います。
文章を要約するということ
先日行ったプロジェクトの中で、自分たちが考えているアイデアと類似のサービスを見つけ、そのサービスを分析するという活動を行いました。対象クラスは、今年の10月に入学した、当時学習歴1ヶ月程度の学生です。日本語のWebサイトを見て、分析対象となるアプリの特徴を調べていきました。
だいたいまとまったところで、そのアプリの特徴をまとめて報告することになりました。各々が調べたことは、Googleドキュメントに共同編集してまとめてありました。それぞれ、どの部分を報告するか相談した後、各々ラップトップを持ち寄り、文面を読み上げるという方法で報告が行われました。
しかし、聞いている私には何が何だかさっぱり理解できませんでした。おそらく、webサイトの説明をコピペして、Google翻訳にかけ、なんとなく意味を理解した上で、適当に継ぎ接ぎした文章だったのではないかと思います。本人もきちんと理解しないまま読み上げているので、聞いている私には、全く伝わってこないのです。
そこで、「説明の中で伝えたいポイントはいくつあるのか」「それぞれのポイントをワンワードで説明せよ」というタスクを与えました。そこからグループで話し合い、説明したいポイントは4つあることが判明しました。
そこで、次に、それぞれポイントに対して、説明の項目はいくつあるのかを確認しました。項目は10個ありました。そこで、それぞれの説明をワンセンテンスで説明するというタスクを与えました。全部で10個の文を作ることになります。この段階で、初めて日本語の文型や表現を補っています。
このような活動を口頭だけで説明するのは難しいので、ホワイトボードにフローを板書しました。(その時の図を美しくまとめると下図のようになります)
このフローにしたがって、アプリの特徴を再構築しました。PCは使わず、あえて手書きにしました。それを持ち寄って並べたのが下の写真です。(彼らのアイデアの源になるものなので、ちょっと加工し、読みにくくしています。)
ここまでやってようやく「あー、そういうことか」とアプリの特徴が理解ができたようです。(ただし、彼らがポイントにあげた「対象者」と「課題」については、説明がもやもやしており、理解のためにはさらなる活動が必要でした)
あとで、彼らが最初にまとめたドキュメントを読んでみたのですが、それほど、わからないというものではありませんでした。なんとなく、言いたいことはわかりました。ただ、本当に内容を理解するためには、この実践の場合、言葉を削ぎ落としてシンプルにしていく作業が必要でした。「〜は、〜です」とか、「〜ことができます」など、初級文型で使われる非常にシンプルな文型に削ぎ落としていって、初めて、webサイトの内容が理解できたのです。Google翻訳を多用していますが、「理解する」過程には、教師のサポートが必要でした。
AIでは代替できない言語教育
ここで、改めて、初めのTED TALKの例に戻って考えてみます。今回、サンプルに使用したスピーチは、TEDに採用されるくらいのスピーチですから、言葉も厳選され、構成もよく練られています。
しかし、通常、学生たちのスピーチ(学生だけでなく私も)は、こんなに整理されたものには、なかなかなりません。思考はあちこちに飛び、何を言いたいのかよくわからないものになりがちです。そんなとき、今回のようにキーワードを抜き出してみたり、シンプルにまとめてみたり、図や絵を描いたり、説明の仕方のフローを練ったりしながら考えを整理していくことが必要です。特に、クリエイティブな新しい考えを創造するときには、このような作業は欠かせません。
このような実践を行おうとしたとき、まさに、言語教育の専門性が生かされるのではないかと思います。頭の中のモヤモヤした考えをどのような表現を使って、どのように表せばいいのか。また、それをどのような形で伝えればいいのか、表現や文の構造、また、伝えるときのロジックはどうすればいいのかなど、言語的なサポートが必要となります。しかし、このような言語使用は、そう簡単に身につくものではありません。
さらには、今後、自動翻訳が当たり前になり、異なる言語を持つ人々とやりとりするようになったとき、ロジックが明確で、シンプルな構造の文のほうが相手に伝わりやすくなります。このような、これから先を見据えた言語使用も考えていく必要があるのではないかと思います。こう考えていくと、言語教師の役割は、これからますます重要になっていくでしょうし、言語教育で蓄積された知見が生かされるのではないかと思うのです。
ただし、こうなると、対象は日本語を母語としない人だけでなく、日本語が母語であってもなくても、全ての人に求められる教育なのではないかと思います。私がはじめに、「日本語教師」でなく、あえて「言語教師」という表現を使ったのはこのためです。
なかなかまとまらなかった考えが、徐々に整理され、言いたいことが研ぎ澄まされていく。さらには、自分の考えが第三者に伝わり、何らかの反応をもらえた、という瞬間に立ち会うことはとてもワクワクする経験です。これからの時代、「情報を検索する」「データを分析する」などの行為がAIに委ねられ、人間には、より豊かな創造性が求められるようになったとき、自分のアイデアや独自性をいかに表現するかが重要になってくるのではないかと思います。そうなったとき、「言語教師」は、非常にクリエイティブで、より人間らしい希望に満ちた仕事になるように思います。
そうは言っても、現代社会では、外国人労働者の問題、子どもの日本語教育、日本語の試験のあり方、教師養成の方法など、日本語教育業界に関係する解決しなければならない問題が山積しています。このような課題を一つひとつ解決しながら、言語教師が、よりクリエイティブな、人間らしい仕事になるにはどうしたらよいか考えていきたいと思っています。
ということで、今回は、最近暗くなりがちな日本語教育業界に対し、ちょっとした希望を書いてみました。