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可愛くない孫


ばあちゃんが認知症を患ったのは私が高校2年の頃

最初はただ「物忘れ」という感じでしょうがないなぁと笑って誤魔化してだけど緩やかに進行していた……

ご飯の作り方を忘れた

ご飯を食べたか忘れた

買い物したのにまた出かける

などと症状がで初めて認知症と分かった


私が高卒で働き出した頃、
じいちゃんが脳梗塞で入院生活している最中で
父はトラック運転手でなかなか家に居なくて母1人でばあちゃんの面倒見てた

その頃は、認知症でも軽度だったためと言えど母1人でばあちゃんの面倒見てじいちゃんのお見舞いと大変な思いをしたと申し訳ない気持ちでいっぱい…


デイサービスに通い始めて、
様々な楽しい行事に参加して介護士から行事の報告として写真をもらう

満面の笑みを浮かべて映るじいちゃんとばあちゃん


水面下では認知症の症状が進行していると思うと辛かった……


私が20歳の頃、
ばあちゃんの症状が悪化し始めた…

ばあちゃんはお酒が弱くて豪快に飲むタイプじゃないのに

ビールをワンカートン買ってくるようになり、
飲んだことを忘れて全部飲んでしまった…

当然、へべれけになるのだが
また買いに出かけてしまう

半分徘徊していたため慌てて探す毎日

見つけたと思ったら片手に買ったビールを持っている


目を離せなくなった


じいちゃんは脳梗塞を再発してしまい身体が思うように動けず



ダブル介護


私は仕事上、介助の仕方が少しできたため
じいちゃんの面倒を休みの日とか夜ご飯の食事と入浴介助をした

ばあちゃんの面倒を見るけど
私とばあちゃんは性格と声が似てるため
しょっちゅう喧嘩してた( ̄▽ ̄;)
ほんとはダメなんだけど…

ばあちゃんは私を見るなり目の敵にして「金盗んだだろ!」「うるせぇ」など罵声を浴びられた…


じいちゃんとばあちゃんは辻褄合わない喧嘩して
私とばあちゃんは似たような声で喧嘩して…

みんな手に負えなかった

じいちゃんが脳梗塞を再々発して寝たきりになった

食事は柔らかいもので誤嚥を起こさないように気をつけなければならなくなった

とある夜


ばあちゃんにお弁当を買っておいて
じいちゃんの様子を見に行ったら



ばあちゃんが自分のお弁当をじいちゃんに食べさせてた


非常に危険だった


すぐに止めさせて私は怖くて大泣きした


誤嚥性肺炎を起こして、
じいちゃんはより症状が悪化して入院

ばあちゃんとは接触しないにした


じいちゃんの誕生日が近かったから
最後のお祝いだろうと家族全員でお祝いした

ばあちゃんにはノンアルビールでお祝いして
笑みを浮かべていた

私も大変だった出来事が忘れるくらい


2016年9月14日
じいちゃんは脳梗塞のため他界


お葬式を終えて四十九日法要も終えて

ばあちゃんは「お父さんは?どこなの?」と聞いてくる
また私の悪い癖で否定して喧嘩する



ほんと私は可愛くない孫だ



ばあちゃんは認知症患者のグループホームに入った

私はじいちゃんの仏壇にお線香あげていたら
そばにいた母に泣きながらこれまでの事で

「ばあちゃんに酷いことしちゃった…」


そこから7年は、ばあちゃん会わなかった

亡くなる2ヶ月前に寝たきりになり延命治療をせず、点滴で余生を迎えることに

従兄妹たちがばあちゃんのお見舞いに来るも
窓越しで声掛けてたけど、何故か私は何も言えなかった……

亡くなる前日、私はイベントの手伝いをしていたら連絡あってグループホームへ向かった

意識はあるけど呼吸が浅かった

胸や背中を擦りながら


「喧嘩ばかりしてごめんね」
「可愛くない孫でごめんね…」


そばにいた叔母さんが
「謝ることないよ、それは良い思い出だから」

しばらくして東京から伯母さん来て三姉妹揃ったところで席を離れた

危篤状態だったが一時的に血圧が安定しだしたため解散することに

翌日、ばあちゃんを最期まで看取りたいと母から連絡あった



2023年11月12日
ばあちゃんは認知症による多臓器不全で他界

母は息を引き取る瞬間を見届けて泣いていた
苦しむことなく安らかに眠っていた

お葬式は沢山の花を飾って
納棺儀式では大好きな花を添えて
大好きなビールの銘柄を描いて納めた

四十九日法要が終わり、ばあちゃんは天国へ

可愛くない孫ではあったけど、良いこと辛いこと沢山分かちあったから後悔してない


じいちゃんばあちゃんから

可愛い孫
ではあったかな笑


今までありがとう

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