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クイック読書:『自分の小さな「箱」から脱出する方法』編

今回の書籍は『自分の小さな「箱」から脱出する方法』です。

某IT企業にて働いている私ですが、どうにもそりが合わない女性メンバーがおりました。
私より年上ということもあってか、入社当初からなんだかナメられてるなーだったり、自分には甘いけど人には要望多い人だなーだったりと思ってしまうことが幾度となくあったのです(あくまで私の主観ですが)。
加えてその女性メンバーは2人のお子さんがいる中フルタイムで働いていらっしゃって、お子さんのお迎えなどの関係から時間的な制約があることもあり、仕事のクオリティや期限をぬるっと曖昧にしがちという癖もありました(これはご自身も認められており、他の周囲メンバーも同じ所感を持っていました)。

そんな折、私がマネージャーに就任しました。
そうなるとその女性メンバーにも業務上言わないといけないことはしっかり伝えていかないといけません。
しかし、もともと関係性が良かったとは言えない間柄です。

女性メンバー:
「私にはスキルがない、時間がない。だから上長が業務設計から施策の前工程/後工程など、全部作ってよ」
私:
「スタンスとしてはどうかと思うけど、関係性が悪いからどうせ何言っても届かないんだよな。。」

このようなことを言われたり、思ったりで、正直半ばこのメンバーとの関係改善はあきらめていたところもありました。
その人と向き合うとメンタルもスタミナも非常に使うので疲れるし、踏み込まない方が関わりが少なくていいもんな、なんてことまで心の中にあったと思います(マネージャー失格です。匿名とは言えここで胸中告白するのもお恥ずかしいことです)。

このようなことを私の上司(部長相当の人)に思い切って包み隠さず相談すると、

「2人とも”箱”に入ってると思うよ。」

と言われます。

たしかにそうでした。
そもそも以前、その上司から「箱の本」を勧められて1回読んでいたのですが、全く実践できていないことに気がつきました。
「箱」から出ることを実践できれば、入社以来ずっと関係性が良くなかったその女性メンバーとも改善していけるのだろうか?
そんな思いで再度「箱の本」を手に取ることにしたのです。

以上、前置き失礼しました。それでは要点をどうぞ!



「箱」とは何か

「箱」の中:自己欺瞞(ぎまん)。囚われている。
→自分が問題を抱えていることに、当人が無自覚な状態。
 目の前の相手を「人」としてではなく「物」として見ている状態。

自分の小さな「箱」から脱出する方法(大和書房) より抜粋

正しい行いをするとする。
それを「箱の中」にいて行うか「箱の外」にいて行うかで、全く異なる結果を招く。
なぜなら人は、”相手の行動”にではなく、”相手のありよう”に対して反応するから。


人はどのようにして「箱」に入るのか

①人は自分の感情に背いた時に「箱」に入る。これを、自分への裏切りと呼ぶ。
つまり、自分が他の人のためにすべきだと感じたことに背く行動をした時に「箱」に入る。
→自分の感情に背くと、周りの世界を自分への裏切りを正当化する視点から見るようになるため。

自分の小さな「箱」から脱出する方法(大和書房) より抜粋

②自分の感情に全く背かずに日々を過ごすのは難しい。
繰り返し自分の感情に背いていると、やがて自分を正当化するような見方で自身を見るようになる。
そしてその自己正当化イメージがあたかも自分の性格であるかのように見なすようになる
すると状況が変わっても、相変わらず「箱」の中に入った状態でいつづける。
人を人として見られず、自分で作り出した自己正当化イメージを通してしか見られなくなる。
「箱」をいろんな場所に持ち歩いている状態。つまり最初から「箱」の中にいる状態。
よって、最初から相手に手を貸そうという気がなかったからといって(つまり自分の感情に背くきっかけがなかったからといって)、「箱」の外に出ている証拠にはならない。

③自分が「箱」の中にいることによって、他の人たちをも「箱」の中に入れてしまう。
→たいがいの人は自己正当化イメージを持ち歩いていて、攻撃されたら自己正当化イメージを守ろうと「箱」の中に入る。
→「自分が相手を責めるのは当然だ、こっちを責めるのはお門違いだ」とお互いに「箱」の中にとどまり続けるように仕向ける。

自分の小さな「箱」から脱出する方法(大和書房) より抜粋

④「箱」の中にいる時に何よりも求めているのは、自分が正当化されること。
自分が正しかったと感じるためには、相手が間違っていなくてはならない。
つまり、「箱」の中にいると自分がひどい目にあった時にこそ「相手は嫌なやつだった」「自分が責めて当然だった」という自己正当化の材料を手に入れることができる。
→お互いに相手をひどく扱い、互いに自分を正当化する。
共謀(お互いの感情に背き合う、非難し合う)して、互いに「箱」の中にいる口実を与え合う。


「箱」の中にいることと仕事はどう関係するか

  • 「箱」の中にいると自分に気持ちが向いてしまって、結果成果に集中しきれなくなる。

  • 前述の共謀関係が広がり、組織内の他の同僚にも対立関係が深まる。

  • 組織の成功に向けて集まった人々が、互いの欠点を見つけては喜び、互いの成功を妬むようになる。


「箱」からどのようにして出るか

  • 「箱」の外に出たいと思ったそのとき、すでに「箱」から出ている。

  • 家族や同僚に対してなんということをしてしまったんだと悔やんでいたとき、相手を責めることをやめて関心を持とうとしたとき、相手のために何かをしたいと思ったとき、その瞬間自分にとって相手は「物」ではなく「人」であるから。


どうすれば一度出た「箱」の外に居続けられるのか

「箱」の中にいる時にしても無駄なこと

1. 相手を変えようとすること
・相手は向上すべきことはないのか?→そんなことはない→ではなぜ相手に変わることを求めてはいけないのか?
・仮に相手を変えることができたとしても、それによって自分が「箱」の中にいる(自己正当化イメージに囚われている)という問題は解決されない。
・そもそも前述の共謀を思い返すと、「箱」の中に入ったまま相手を変えようとしても正反対の方向に動かすだけ。
・そうなると、相手を変えることで「箱」の中から出ようとしても、「箱」の中に留まる理由を相手から与えられることになる。

2.相手と全力で張り合うこと
・相手を「箱」の中に留めるだけ。

3.その状況から離れること
・「箱」の中にいると、問題は相手にあると思う。だが本当は箱の中にいる自分に問題がある。よってその場から離れたとて、問題を携えていくだけ。偽りの感情はついてまわる。
・場合によっては正しいかもしれないが、最終的には自分が「箱」から離れなくてはならない。

4.コミュニケーションを取ろうとすること
・相手に非があると伝えるだけ。たとえ伝え方がうまかったとしても、こちらが「箱」に入っていることが相手に伝わる。
(自分が「箱」の中にいる状態で、コミュニケーションをとる=話し合おうとすることをしても無駄。自分の解釈を押し付けて、納得させたいだけ。自分は全く「箱」から出ていない。)

5.自分の行動を変えようとすること
・「箱」の中にいた状態ではうわべだけの、みてくれの行動変容をするだけ。相手はやはり「物」でしかない。
・自分のことを考え続けている限り、「箱」の外には出られない。「箱」の中に入っているときは、たとえ自分の行動を変えようとしたところで、結局考えているのは自分のことでしかない。

「箱」の中にいる時に考えたり感じたりすることは、すべて「箱」によるまやかしに過ぎない。


「箱」の外に居続けるために大事なこと

1.「箱」の外側にあるもの、つまり相手に抵抗するのをやめる
その瞬間に自分が変わり始める。

2.「箱」の外に出た人間関係が1つでもあれば、他の人との人間関係においても「箱」の外に出るための一助になる。
つまり、「箱」の外の人といる時間に感じたことや学んだことを支えとして、
「自分が間違っているんじゃないか?」
「他の人に何かしてあげたい」
と、他の人との関係性における「箱」をも動かす瞬間がある。

自分の小さな「箱」から脱出する方法(大和書房) より抜粋

相手を、自分と同様きちんと尊重されるべきニーズや希望や心配ごとを持った一人の人間として見はじめたその瞬間に、「箱」の外に出る。


「相手のため」に行動することは大変か

「箱」の外に留まり続けるうえで肝心なのは、「箱」の外に出ているときに、自分が他の人に対してなすべきだと感じる、その感覚を尊重すること
だが、他の人のためにしなくてはならないことが思い浮かぶたびにそれをすべて実行しなくては、「箱」の外に出ていられないのだろうか?

  • 必ずしも感じたことをすべて実行すべきだ、というわけではない。なぜなら人それぞれに大事にしなくてはならない責任やニーズがあり、他の人に思うように手を貸せない場合もあるから。

  • それでも精一杯のことはできるわけで、その場合は「箱」の外にいるからこそ、他の人たちを人間として見ているからこそ、そして自分がしたいからこそ、手を貸す。

  • むしろ「箱」の中にい続ける方が負担が大きい。なぜなら、四六時中自分を正当化しなければならず、「箱」の中で自分を証明し続けなければならず、「箱」の外にいる時よりもしなければならないことが多いから。


相手が「箱」に入っているせいで、自分も「箱」に入るのだろうか

言い換えれば、相手がしたことが原因で、自分は相手を責めるのだろうか?
→No。自分が「箱」に入る原因は、自分を裏切るから。

だが、自分は「箱」の中に入らずに相手を責めるということはありえないのか?
相手を責めている場合は、必ずこちらが「箱」の中に入っている。
「相手を責めたとして、それで相手はよくなるだろうか?」
「責めると、相手はもっとひどくなったりするんじゃないか?」
「となると、相手を責めることは、会社の業績があがるよう力を尽くす、という有益な目標に、かなったことだといえるだろうか」
「相手を責めたら、箱の外での目標を達成するうえで、何かプラスになるんだろうか」

そもそもこの質問自体、相手を責めている自分を正当化したいに過ぎない。
そして自分を正当化したいということは自分への裏切りがあるということ。

いったん「箱」の中に入ってしまうと、相手をひどいやつだと責めている自分を正当化するためにも、相手がひどいやつでないと困ることになる。
「箱」の中にいる限り、問題が必要だから。

相手が「箱」に入っていることを責めずに、相手が「箱」に入っていることに気づけたのなら、それだけで良いではないか。
結局のところこちらも時には「箱」の中に入ってしまうわけだから、「箱」の中にいるということ(自己正当化や他責をしている状態。自分としても良くない心の状態)がどういうものか、感覚的に分かっている。
こっちが「箱」から出てしまえば、相手がひどい奴である必要はなくなり、相手をひどいやつにする必要もなくなる。
だから、つらい状況を悪化させるのではなく良い方向に持っていくことができるようになる。


知るだけじゃなく、即して生きる

「箱」の中に入ったリーダーになってはならない。
周りの人間を簡単に「箱」の中に入れてしまう、会社に損害を与えてしまう。

こちらが「箱」の中にいる限り、仮に周りの人々が自分に従ったとしても、それは単に恐れて従っているだけ。
そんなものは統率力じゃない。ただの威圧。
皆がすすんで従いたいと思うのは、「箱」の外に出ているリーダーだ。

リーダーとしての成功は、自分への裏切りからどれだけ自由でいられるかにかかっている。
自分への裏切りから自由になってはじめて、他の人たちを解き放つことができるのだから。
そうなってはじめてリーダーになれる。
人々から信頼され、期待に応えようという気を起こさせ、一緒に働きたいと思わせる、同僚になれる。

「箱」の中に入っている人物をも含めた周囲の人に、さらに力を貸すにはどうすればいいのかを学んではじめて、それに即して生きていることになる。

自分の小さな「箱」から脱出する方法(大和書房) より抜粋

こちらが「箱」から出て仲間に加わらない限り、共に働いたり暮らしている人間の、人となりを知ることはできない。



※以下自分用(後日追記欄)※ 実践編

アウトプットしてどうだったか?

周囲からどんなフィードバックがあったか?

Next Actionは?