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今回の高校野球で、多くの方達が不快に感じたという「慶応の品の無い応援」に付いての簡潔な考察


今回は、昨日の高校野球で話題になっていた現象に付いて、私なりの考察を語らせて頂いています。

こういう「多くの人達が自然に不愉快に感じてしまうもの」が生じる時というのは、

その裏には「偏った情愛から来る配慮の無さ」という、或る意味正直ではあるけれど、その稚拙さから来る「本物の愛の不在」というものを、私達が本能的に感じてしまう動物だからなのでしょう。

特に日本人という民族には、そういう感覚を持たれている方が多いからこそ起こった今回の現象なのかもしれません。

反対から言えば、何かを偏愛し妄信する事から生まれる「盲目=自分達を客観視出来なくなる」という事への怖さも感じます。

何故なら「戦争」というものの始まりは、常にこういう小さなナルシシズム的なものから始まって行くものでもあるからです。


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