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先入観を持たない事の難しさ
今回は、勿論自分も含めて、如何に私達人間というものは、お互い無自覚に「勝手な先入観」というものを持っていて、
凄く狭い視野と了見で物事を見て、「相手を勝手に判断ジャッジしてしまう生きものなのか」に付いてお伝えしています。
今世での「その人・人に必要な学び」というものは、それぞれ個々に違って当たり前だと私はいつも思っています。
どう学ぶか、どこから学ぶかも限りなく自由であり、そこに優劣などないと私は思います。
何故なら「幅広い視野を持って、多くの事を理解出来る様になる=偏見と差別を無くして行く」という事が、一番の「愛に付いての学び」であると私は思っているからです。
それは例えれば、ジグソーパズルのピースを何処から埋めようと「最終的に全てのピースを埋めて作品を完成させれば良い」だけの話であって、
「ここから埋めるものだけが賢い=ここから埋めるべきだ」とか「ここから埋めるものだけが優れている=ここから埋めない奴は愚か者」とか思うのであれば、私は実にくだらないと思います。
プロになれば「こうしたら早く完成に辿り着ける」という、コツの様なものを習得出来る様になるかもしれませんが、それもその方自身が「沢山のやり方をしたからこそ得られる知恵」なのではないでしょうか。
他者が自分の経験から発見した、そうしたコツを学びたいと思う方々もおられるでしょうし、或る意味「経験者に学ぶ事」で、最短距離で作品を仕上げる事を望む人は、そうした先駆者の方のやり方の真似をするでしょう。
でも「そういうものを自分自身で発見する」という事の方が、感動は大きいのではないでしょうかと私自身は思っています。
回り道をしたり、寄り道したりしながらそこに辿り着けた方達の方が、経験値が高い故に、人間的な厚みや深みを持っていて、
逆に人に対する観方というものにも「温かい眼差し」というものを持っておられる方が多い様に私は思う一人です。
今回はそんな事を思いながら、この記事を書かせて頂きました。どなたかの何かの参考になれば幸いです。