私がファンとして心掛けている事
今回は、実は私がずっと前から感じて来た事をお伝えしています。
そして今回私が記事の中で書かせて頂いた事は、音楽に限らず全てのアート作品に対しても「同じ事が言えるのではないか」と私は思っています。
今回の場合は「歌詞に対する解釈」というものを、一つの例として取り上げさせて頂きましたが、
「自分はこう解釈した」という事を、お互いに語り合ったりする事は、自分の視野を広げてくれたり、発想の転換というものを学んだり、
又、思考の柔軟性というものを促してくれたりする、非常に知的で楽しいディスカッションにも成り得ますが、
そこにもし、誰かの個人的な願望やエゴが色濃く混じる"独善的に勝手に歪曲して解釈されたもの"が入り込む場合、
多くの人に不快感を与える事にもなってしまうのではないでしょうかという事を私は思います。
そしてこういう事は「不快に感じていても、誰も本人に直接指摘出来ない」という現象も生み出します。
でもだからこそ、大人として「各自の配慮」というものが必要になって来るのではないでしょうかという事を私は思います。
ファンとしてのナルシスティックで個人的な自己満足行為が「自分のお気に入りのアーティストを悩ませ苦しませている」という事に気付けない悲劇というものを、
今私は毎日拝見させて頂いている所です。