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世間の喧噪に呑まれず、健康的な心で生きる為に必要な知恵


今回は、毎度の事ながら、世間の喧噪でもある"時事ネタを追う事"に少々疲れてしまった最近の私が、本来の自分らしい記事を書かせて頂いた様な感覚でしょうか。

ちなみに私が時事ネタを追う事に疲れてしまう理由は、いつも今回お伝えしている様な真理をすでに理解しているという事から来ている気が致します。

私の中では、時事ネタというものは「枝葉」であって、大事な「根」の部分が見落とされているものが殆どであるという事が大き過ぎるからです。

そして記事の中でもお伝えした様に、そういう事を理解しないまま、巷に溢れる「枝葉からものを語る様な教育者とかメッセンジャー」に辟易しているという事が正直あります。

ちなみに「信頼を築くのにはとても時間が掛かるけれど、失うのは一瞬」という事があります。だから私は記事を書く事含め、常に自分の言動には細心の注意を払います。

それは「ガラス細工を扱う」という、或る種の"真剣さ"という事に似ている気が致しますが、でもそれが本当の意味で「自分の事を大事にする」という事に繋がっていると私自身は感じています。

なのですが、私が思うに私達の人生は「真理に気付いた時点で、自分の言動を改め始めたから全てが終了する」という訳ではなく、

「それまでの自分の過去の行いから生まれたカルマが解消されるまで清算が続く」という事が、私達が「この世の真理に気付きづらくなっている一因」の様に思います。

この世は非常に複雑である為、人の心も非常に複雑で、細心の注意を払っても払わなくても、宿命=過去のカルマの清算がより良い人生に必要ならば、

「それは予期せぬ形で、起きる時には起きる」という宇宙の法則が、自動的に働くのも"この世の理"なのではないかと私は思っています。

そしてそういう時こそ「自分の器が試されている時=自分を成長させる事が出来る最大のチャンス」なのだと私は理解しておりますし、

そうした自分の行動も、又「ガラス細工の様な新たなカルマを常に自分に生み出している」という事を私は思う一人です。(※カルマには良いものもあるという事をお忘れなく)


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