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【学校スタンダードも宿題もハッピーのためにあるはず】

学校スタンダードなるものがあります
#先生以外は知らないでしょ
#謎ルール

これは各学校が決めているもので
#自治体ルールもあるらしい

スタンダードの内容は
授業のスタンダードや
学習規律のスタンダードなど。

きっとこれらは、
1. 一般のあるべき姿を示すものとしての、ありかた�2. よりどころとなる目あて
のことで、
先生や子どもたちがハッピーに学校生活を送ったり学習に取り組んだりするためのものなはずです。

が、しかーし!

そのスタンダードで先生も子どももがんじがらめになってるケースがあるんです。
#なぜー!?

というのも、
「教員向け」の例として、
黒板の書き方
授業の進め方
めあてを必ず板書する
始業終業のあいさつの仕方

「児童向け」の例としては、
発言するときは手を上げる
授業中はきちんと座る
持ち物

などなど。
学習・生活態度に関するものなどが定められているんです。

はい。
そこまで細かく定めなくちゃーいけないかい?
とツッコミが入ってきそうです。

そりゃあそうです。
ぼくもそう思います。

だって本来、教育とは、教員がそれぞれに創意工夫して、受け持つ児童生徒に合った指導を模索していくものです。

先生や子どもたちの主体性、自ら考える力を育てる機会が失われてしまうかもしれません。

それにね、ぼくがこの話で一番嫌なのは、
「標準」から外れる子どもや先生を排除する危険性があることです。
#そりゃああからさまにはないでしょうけど
#結果そうなってることってない?

とはいえ、完全に良くないことばかりかというと、そうではないかもしれなくて、

スタンダードがあることで落ち着いて授業の質を保つという利点と目的があって、

結果、主に若手の先生や子どもたちの幸せにつながっているかもしれませんね。

だから、あってもいいんだけれど、あくまでそれは基準であって、必ずしも全クラスその通りじゃないといけない、なんてことにならないようにして欲しいですね。

で、ここまでは実はイントロで
#うそーん😆
#久しぶりに長い投稿しようとしたら
#こういうことになっちゃった🤣

ここからが本題です。

①学校スタンダードは、先生たちの仕事においてOJTが全くできてない、すなわち先生たちの対話がめっちゃ少ない。

だから、スタンダードとかいうもので最低限を担保しようとしてるんだなぁって思ったんです。

ですが、それはそれでいいとして。

それはあくまで基準で、先生たちそれぞれが、子どもたちに合わせ創意工夫をして、ハッピーな仕事ができるようにカスタマイズしていいってしないと、何のためのスタンダードなのかわからなくなるよねって事が言いたかったんです。

スタンダード通りじゃないなんて言って、先生たちをがんじがらめにするものじゃあないよねってこと。

②そして、それから言えるのが、子どもたちに課される宿題のことです。

これも、出された宿題のうち自分に必要な部分を自分で考え選択しながらやればいいというのがぼくの考えです。

ようは、①の話と同じように、自分にとってのハッピーのための選択肢の一つとして宿題があるということ。

それによってがんじがらめになってしまっちゃあ、何のための宿題よって思います。

まぁね。
言っちゃいますけど。
#やばい止まらないおこられそう🤣

宿題なんて、先生の趣味です。
家に帰ってからの子どもたちを拘束するまで先生たちの仕事じゃありません。

それを強制している先生ほど、提出チェックとか丸つけに苦しんでいて「忙しい忙しい」と言ってたりします。

#誰か止めて😹

主体的に自らの学びを選択して、学び方を学ぶ必要があるのに、あえて非効率な学びかたを教師が強制してちゃあいけません。

ということで、そろそろ、宿題について再考しませんか?

「本当に今のままの宿題を出し続けますか?」
「宿題は何のため?」

「であれば、どのような家庭学習を子どもたちにして欲しいですか?」

#失礼しました。
あらぬ方向へ行ってしまいました😆
書き初めのときとテンションがかわったため、限定公開とさせていただきました。

長分失礼しました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました😊

ではでは。
ハッピー‼️

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