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余裕があるのに、何もできない

時間もお金もある。余裕がある。しかし、何もできない人がいる。こういった人は諦め癖がついている。本人は諦め癖とも思っていない。生活する上で必要な考え方だと思っている。

何もできない人は愚痴を言いがちである。〇〇が〇〇なのに、〇〇って言ってきたの。ひどいよね。といった形にである。私はなにか大変な状態にあるということを話してくる。本人は決してアピールするつもりではないのであるが、結果的にそういった形になっている。他には、〇〇は〇〇になったんだって。ちょっとびっくりするよね。そんなふうになっちゃうんだって。といった形で話す。人はなにか大変な状態にいると言うことを話してくる。それと比べて自分は普通であると言わんばかりに。今の自分でいいのだと言い聞かせるように。

何もできない人は、人を決めつける。自分を決めつける。囚われがある。しかし、これ以上望んでも手に入らないし、惨めな気持ちになるからと、自分はこんなもんと思う。

何もできない人は、衝動的になにか取り組んでみても、失敗に終わる。失敗というのは、なにかを真似しようとすることである。世の中のある人が時間をコツコツかけてできるようになったことを目指す。それをできるようになったところで、本人は不安を解決するために始めたことなので、満足することはない。できるようになっても、何のためにできるようになったのかと思う。ますます何もしなくなる。受動的になる。

何もできない状態から脱出するためには、囚われをなくすことである。囚われをなくすことは、何かをコツコツすることで達成感を感じ、自己肯定感をあげることでもない。将来の理想像を考えてたりして、なにか目標を見つけることでもない。

囚われをなくすことは、休むことである。頭を空っぽにすることである。何もしなくていい。ゆっくり休んだ結果、やってみたいと思うことをするといい。それはお腹が空いてご飯を食べたいということであったりするし、緑の下を歩いてみたいと思うかもしれない。カフェに行ってのんびりしたいと思うことかもしれないし、なにか作ってみたいと思うことかもしれない。

ここで注意したいことは、囚われがない状態でのやってみたいことはエゴがない。こうしなければならない、こうするのが正解だということはない。ただ、子供のようにやってみることである。

そうした自分の意欲にこたえていると、自分が自然に取り組むようになることができる。美味しいご飯を作ることかもしれないし、新しいカフェを散策することかもしれない。好きな音楽をあれこれ探すことかもしれない。それでいいのである。最初のうちは、人と比べればこの人の方がご飯が上手、もっと秘境と言われるようなカフェを見つけている、この人の方がびっくりするような音楽を見つけてきているとかあるかもしれない。しかし、人は人である。他の人に囚われることなく、続けたことはいつしかユニークなものになっている。その人にしかできないことになっている。満たされる。結果が出る。なにかできる人になっている。




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