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安心できる生活を追い求めて

私は次の会社が決まっていない状態で2回会社を辞めた。そして3社目の今は、休職中である。所属のない状態となり不安だったが、今は安心できている。

新卒の頃は、余裕のない生活をしていた。まず、お金がない。大学卒業時にアルバイトで貯めたなけなしのお金で初めての一人暮らしをした。家具を買うのもやっとで、初任給が入るまでは、実家に帰るなどのちょっとした出費は金銭的に難しかった。

また、周囲と比較して焦っていた。新人研修では同年代の人と何か同じことを取り組む。その中で仲間の成長の速さを肌身で感じた。自分はこのままではいけないと思った。みんな頑張っているから、自分も頑張ろうと思った。研修終わりも休みの日も勉強に励んだ。不安を消そうと一生懸命になった。

新人研修が終わり配属されても勉強は続いた。勉強をするごとに、これまでの自分ができなかったことができるようになった。少しずつ見える世界が変わっていった。しかし、どんなにできることを増やしても不安は残った。周囲よりもできる状態でなければいけないと思えた。勉強をやめれば、以前のような不安を感じた。前に進ことだけが、不安を少しでも感じなくさせる手段だった。

そんな私の努力とは裏腹に会社では、行き当たりばったりな仕事をした。何か納期が近いものをする。余裕がない。その仕事は不連続で様々なことを同時に進める必要があった。他の同期の話を聞けば、一つのことを落ち着いて取り組んでいる。思慮する時間がある。試行錯誤している。なんのために勉強しているのだろうと、悶々とした。

そんな中会社に行くことが嫌になっていった。この場所で骨を埋めるのか、このまま仕事を続けていいのか。理想と現実のギャップに悩んでいたんだと思う。会社に行って自分のデスクに行くと泣くようになった。そうして逃げるように会社を辞めた。

半年間、無職だった。仕事とは真逆のことを取り組んだ。絵を描いた。人の手に渡る便利なものではなく、芸術こそ生活を、心を豊かにすると思えた。しかし、どんどん減っていく貯金に不安を感じ、再就職した。

再就職先は同年代に囲まれ、やりたいことをやらせてもらえた。しかし、上司からのハラスメントを受けた。個室に入れられて、2〜3時間指導を受ける。その指導は私の人格を否定するようなものだった。私は個室に入るだけで泣くようになり、同じ人に指導を受けていた先輩は、蕁麻疹が出るようになった。身体が環境に悲鳴を上げていた。

年度が変わり上司が変わった。しかし、会社の情勢が変わり海外に出向することになった。仕事内容も新卒で入社した会社同様、炎上したものを対応するような業務であったので、辞職した。また次の就職先を決めずに辞めた。

また貯金が減っていき不安になることは予想できたので、すぐに転職活動した。そして無事に転職先を見つけて働き始めた。3社目は満足できた。これまでの会社で経験したことや、勉強してきた内容を利用できた。一つのことに腰を据えて取り組めた。上司も有能でどんどん道を切り開いていった。仲間と協力する中で、どんどん規模が大きくなっていった。そのうち現場を取り仕切る立場となり、結果も出て周囲にも認められていった。

世間が外出を自粛するようになって、私は1年間ほぼ在宅勤務だった。在宅であっても出社していた頃と同じように業務をした。以前よりも結果が出ていた。しかし、休職した。周囲から見れば寝耳に水である。本当に驚いていた。金銭的にも余裕があり、好きな場所に住めて、好きなものを食べて、好きなものを買えた。土日は必ず休めて長期休暇も取れた。1ヶ月に30時間程度しか残業もしなかった。一つの仕事に集中でき、以前のような不連続な予想のつかない業務ではなかった。仲間もいて協力して日々業務を取り組んでいた。業務は結果も出て、他部署からも認められるようになった。自分の能力を使って、社会に貢献できていると感じられた。しかし、休職した。

側から見ればこんなに恵まれた環境で、どうして病むのか分からないと思う。会社側も社員が精神的にストレスがかかった場合はケアする体制が整っていた。理解のある会社で、俗に言うホワイトな会社であった。ホワイトの中でもホワイト。家族も今の会社で働いてる姿に喜び、記事になっていれば見つけて共有してくる。

私はどんな組織に行っても、人にこたえていた。こうしなければならない、こうするべきだという想いがあった。囚われていた。人にこたえようと一生懸命になった。みんなにいい顔をする。八方美人になる。優しい。理解がある、スケジュール通り業務を進める。冷静沈着である。結果が出る。まさに完璧だった。しかし、その完璧さの裏では自分を殺していた。

在宅勤務の裏では、過呼吸になっていた。何か食べればもどすようになっていた。夜は不安で涙が出て、パソコンを開く時は動機が激しくなり、たまに会社に出社するときには、足がすくみ、手が震えた。大量に汗をかき、緊張していた。

こんなになる前に、フラグをあげるべきだったかもしれない。なお、フラグは上げた。今の身体の状態を上司に伝えた。一時的に業務量は減って対応してもらった。しかし、時間の経過するに連れて元に戻った。上司と相談の上、業務の管理も仕事のうちだから、慣れていくしかないねという形だった。合意の上だった。私も慣れようと努力した。しかし、根本で人にこたえようとしているので、だめだった。

私にとって安心できる生活は、自分にこたえることだ。人ではなく、自分にこたえること。会社に所属すると、どこか人にこたえてしまう。人は人と割り切っても、人にこたえてしまう。自分の能力限界と周囲の状況を垣間見て、できる業務を取り組んでも、人にこたえてしまう。できる業務に対して、こうしなければいけない、こうするべきだと決めて、達成するように工面する。その取り組んでいることは、自分のやりたいことではなく、人にこたえてしたことだった。不安であるから、一番自分が不安を感じない選択をしてきた上で取り組んでいることであった。それは必ずしもやりたいことではなかった。

私は今、休職する中でこの記事を書くことを楽しみにしている。より満たされるために、気づいたことや試行錯誤したことを語っている。これは今の私がやりたいことで、朝起きて自然と書いている。

安心できる生活を追い求めた結果、自分のやりたいことを下手でもいいからやるようになった。楽しむようになった。

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