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正直、お金はかからない

世の中は購買意欲をそそらせるものに溢れている。そして、何か効果をアピールするものがある。そういったものは売れる。注目を浴びる。お金になる。何かする上でも、習う、勉強することを進める。継続することを良しとする。心にうったえかけるものである。

私は人生最大の困難は仮面から逃れることだと思っている。仮面から逃れることとは、囚われがある人から距離を取ること、そして自分自身が囚われをなくすことである。この囚われを利用したことは、世の中ではあれこれと商売として成り立っている。例えばセミナー。これが習得できる、こんな効果がある、成功する、幸せになるといった形で人に対してあれこれ教える。なお、私はセミナーが良い、悪いと言っているわけではない。意欲の高い人が集まり、その場は活気がある。希望が持てる。ワクワクする。ただ、これまで囚われがある人、不安を感じていた人がセミナーに行くことで安心するが、一時的に安心するだけで、いつかは疲れる。セミナーに行くことでお金も出ていく。本も囚われがある人が好むものである。物語であれば感動する世界、共感できる世界に癒される。次が楽しみになる。なお、私は本を不定しているわけではない。何か悩んだ時にバイブルのように読み直す本だってある。しかし、本を読んでいくら知識をつけても、囚われをなくす、不安をなくすことにはつながらない。お金が出ていく。

私は囚われがある人から距離をとるためには、ひとりになることだと考えている。そして、自分自身が囚われをなくすには、頭と身体を空っぽにすることだと考えている。ひとりになることは、家でできる。いえ、うちは子供がどんちゃん騒ぎで、ひとりになることが難しいです。といった場合でも大丈夫である。寝る時は、横で旦那がいびきをかいていようと、子供が両手両足まきついていようと、そこで頭と身体を空っぽにすることはできる。初めは、子供がひっついてきて暑いだったり、旦那のいびきがうるさいなどで、頭を空っぽにするなんてことは私には無理だと思うかもしれない。しかし、大丈夫である。湧いてくる思考に対して、あ、こんなことがあったな、これしてなかったな、など思うことがあるかもしれない。思っても、今何か考えたな、と認識して、それを考えないことである。気がついたら寝てたなんてこともあるかもしれない。それでも、静寂な時間を長く保つように意識してみることである。すると、自分は大丈夫と思えるようになる。これまで感じていた不安を手放すことができる。何か根拠立てて大丈夫と思うわけでもなく、将来に対して作戦を練って大丈夫と思うわけでもなく、自分はこんな人間だと決めることで大丈夫と思うわけでもなく、囚われをなくすことができる。

囚われをなくすこと、不安を解消するための手段が世の中には溢れている。そして、特別何かをしなくてはならないかのような気持ちになる。不安になる。だから、一生懸命もがいてみたり、無理をする。頑張ろうとする。どんなに頑張っても、無理をしているので、最後は疲れる。やる気がなくなる。無気力になる。何か技術をつけること、新たな知識をつけることが囚われをなくすことではない。お金を稼げるようになることが囚われをなくすことではない。社会的地位を得ることが囚われをなくすことではない。

囚われをなくすことは、お金はかからない。誰だってできる。自宅でできる。今はお金を稼いでなくて、家がゴミ屋敷であろうと大丈夫である。これからのことを考えると生活をしていくのに限界がくる、もはや限界であるのは頭ではわかっているけれど、行動をできない場合でも大丈夫である。これまで本当に避け難い困難に立ち向かってきただけなのだ。結果として、お金を継続して稼げない状態になったり、家が散らかっただけなのだ。それは問題とどこまでもダメ、ダメ、ダメ、ダメと言ってくる人がいようが、大丈夫である。それは一時的な状態で、その状態から変わることができる。世の中でダメ、ダメと言ってくる人は、囚われがある場合がある。囚われがある人に対して、どんなに説明しようが、わかってもらおうとしても難しい。囚われがある人を諦めている、相手にしないというわけではない。ただ、囚われがある人は、余裕がない状態である。その人の主張も分かるが、自分の思考をわかってもらおう、行動をわかってもらおうと思わなくていい。余裕がない状態なので、心が休まる形にすると、つまり情報を出さないと囚われがある人は落ち着く。距離を取れる。

囚われをなくすこと、自分は大丈夫と思うことに、正直、お金はかからない。



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