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頭を空っぽにするには2種類ある

頭を空っぽにするには2種類ある。新しいものを生み出す時の脳の状態と、エゴのない意欲が湧いてくる脳の状態である。前者が降ってくる、といった形で、後者が湧いてくる、といった形である。これらについて説明していく。

降ってくる

閃いた、イメージが降ってきた、という経験はないだろうか。散歩をしていた時に、これまで悩んでいたことに対する解決策を思いついたりする。これは、新しいものを生み出す時に使われる脳の状態である。理系の世界では、世の中にない新しいことものを作る時、情報をかき集めて、鍵となる要素を見出し、一旦そのことは忘れて、頭を空っぽにして、何か新しいことを発案する手法が取られたりする。
多くの場合は、このような0から1をつくる方法ではなく、何か既存のものに機能を足して、1から2、3をつくるということが多いのだが、発明を狙う時、世の中にないものを生み出す時、この閃く手段を使う。
理系の世界と言ったが、これは表現者、創作者すべてに言える話であると思う。生み出す人は、閃くルーチーンを持っている。知っている。見出している。この閃きは、降ってくるという言葉で表現される。ある瞬間突然イメージが浮かぶ。リラックスしてる時、ぼーっとしてる時、無心になっている時、何かに熱中している時、その瞬間は当然訪れる。

湧いてくる

寝て起きた時、多くの場合は、なにか日々の生活を回すことを始める。布団から出る、着替える、何か飲む。そうして朝のやることをあれこれやる。その後は各々会社に行く、学校に行く、子供の世話をする。こうした時間ではなくて、例えば休日など、特に予定が決まっていない時に、これをやってみたいな、あれをやってみたいな、と思ったことはないだろうか。
その意欲は、これをやったら、この人からいいと思われるな、これをできるようになれば、もっと成長できるな、などと考えない意欲である。お茶を飲みたいな、山に登ってみたいな、などと素朴な気持ちである。エゴのない意欲である。この意欲が、頭をからっぽにした時の意欲である。何かの束縛がない意欲である。過去を振り返って、自分はこれが得意だから、これができるから、あれに取り組もうなどとしない。将来のことを思い描いて、こうなれば、お金が稼げそう、安定しそうだからこれをやろうなどとしない。打算的にならない。ただ、今の自分がなんとなくやってみたいな、という気持ちにこたえる。気づけばそれはやっているかもしれない。子供が走り回るように。しかし、大人になるとなかなかこういったことができなくなる。自制するからだ。自律するからだ。それは成長の過程で必要だった。しかし、それに縛られる必要はない。ひとりの時は自由だし、何をしてもいいのだ。その安心して大丈夫と思う気持ち、そうして何かやろうとする意欲が、湧いてくるという状態である。

最後に

降ってくる、湧いてくるは、子供の頃はよくやっていたのに、大人になるとその姿は陰をひそめる。それは、勉強をして何か論理的に物事を考えたり、体系立った世界で、スキルを習得しようと躍起になると、やらなくなる。合理的な方法ではないし、それは偶然とも言えるし、必ずしも毎回そうなるとは限らないからだ。毎日学校に遅刻する、休むわけにはいかないということで、大人になる過程で自制する。自制が悪いことと言っているわけではない。ただ、脳が自由な状態になる時間が減るのかなと個人的には思う。比較し、焦り、不安になって、脳が安心しなくなるのだと思う。

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