安心すると
安心すると、意欲が湧いてくる。エゴのない意欲だ。ああしてやろう、こうしてやろうと思わない。下手なままする。そのままで大丈夫である。別にこうしよう、あぁしようと思わない。エゴのない意欲は、ユニークな自分を形づくる。結果的にお金も人間関係も時間も得ている。
朝は自然と目覚める。6時など昨日起きた時間と同じような時間に自然と目が覚める。急に目が覚める。ひと伸びする。朝の香りを感じながら、いつもの習慣をする。カーテンをあける、布団を整理する、着替える、コーヒーをいれる、散歩に行く、洗濯機をまわす。習慣は人により異なるが、無理なくいつもの習慣をする。いつもの習慣が終わる頃には、意欲が湧いてる。あれがやりたい、これがやりたい。そのやりたいと思うことは、心を弾ませる。やることをイメージするだけで心が踊る。やりたいので始める。やり始めると、周囲の音は聞こえなくなる。集中する。しかし、没頭するわけではない。寝食を忘れるわけではない。喉が乾いたなとなれば、飲み物を飲む。お手洗いに行く。ちょっと凝り固まってきたなと思ったら、ひと伸びする。少し歩く。没頭するわけではない。その仕草は優しい。ゆっくりとしていて余裕がある。そのうち、お腹がすいてくる。食べたいものを食べる。食べたいものは、このところ食べていないものが多い。昨日が肉であれば、野菜を食べたいと思う。野菜を食べたならば、お米が食べたいと思う形にである。好きなものではあるが、このところ食べていないものを選ぶ。食べてしばらくすると、なんだか眠くなる。眠たくなると仮眠を取る。ゴロンと横になって、深呼吸する。周囲の明るさやあたたかさを感じているうちに、寝ている。横になって寝るまで一瞬である。すぐに寝る。そして、ぱちと目が覚める。それは5分程度であることもあるし、30分程度経っていることもある。2時間くらいの時もあるが、それは体調による。疲れていればたくさん寝るし、そうでなければ、比較的すぐに目が覚める。目が覚めた後、また何かやりたいことがある。それはこれまでの続きかもしれないし、そうでないかもしれないが、やりたいことが浮かんでいる。それに従って取り組む。無理がない。そうしている間に、夕方になっている。家に家族が帰ってくる。ひとりの場合は、何もしないぼーっとした時間を過ごす。にぎやかさは異なるが、どちらも満たされた時間である。心をほぐす。そうしていつもの習慣をまたする。お風呂に入る、着替える、話す、気持ちを書き出す、ネットのあれこれ情報をみて回る。そうしてる間に、寝る時となる。眠たくなる。布団にはいる。いつの間にか寝ている。昼寝同様、いつの間にか寝て、気づいたら朝になっている。
安心すると、日頃取り組むことで気づいたらお金を得ている。ユニークなものをつくっている。時間を得ている。自分の能力が高まっている。気付いたら、情報を仕入れている。気付いたら動いている。こうしてやろう、ああしてやろうなどと思わない。その行動にエゴはない。過去に囚われることもないし、将来のことに対してあれこれ不安になることもない。日頃取り組むことは、創作物ではない形もある。人に対してサポートすること、仕組みをつくること、人とかかわること、どんな形であろうと、取り組むことはその人にしかなし得ない形となっている。他の人が形式的に真似することはできるが、その人だとわかる特徴を有している。
安心すると、不安に感じていた頃の自分が想像もしていなかった自分になっている。その頃の延長線上に自分はいるのだが、その時の自分はその形を想像していなかった。想像していなかったが、その形に満足する。満たされる。