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選択肢があるほど人は動けなくなる
ミヒャエル・エンデの自由の牢獄をご存知だろうか?ざっくり言えば、タイトル通り選択肢があるほと人は動けなくなる、決められない、行動できないという話だ。
自由の牢獄
著者:ミヒャエル・エンデ
訳:田村 都志夫
出版社: 岩波書店
発行年月:2007.09
私はこれまで2回転職して、大学を首席で卒業したサラリーマンである。そんな私は、休職をして長期の自由な時間を持ったことがある。この内容の通り動けなくなった。やったとしても、受動的な動画を見ることであったり、ゲームをだらだらとやって1日が過ぎていった。休む前にはあれをしよう、これをしようと心を膨らませていたにもかかわらずである。お金も時間もあり、何をしても良いのに動けない。
これは、まだ起こり得ない未来に対して、あれこれ考えたことが原因であった。ある程度大人であれば、物事を始める前にだいたいどういった結果になるか予想がつく。しかし、大きく期待することもあるし、悲観的になることもある。
この決められないことは、未来への執着からきていると思う。未来への執着は、不安から来る。この不安は自分ま今のままで良いという自己肯定感からくる。自己肯定感は、親から受ける愛情(あなたはそのままで良いというメッセージ。何かをできたりする必要もない。)かひとりになることで育まれる。
なお、過去や未来への執着に関して記事を書いたのはこちら
まぁ、なんとかなるさ、という楽観的な気持ち、自分を信じる気持ちー自己肯定感の欠落は、選択肢がある時に人を動けなくする。えいやと選択しても、あちらの選択の方がよかったのではないか、こちらの選択肢にしたら、もっと違ったのではないかと、過ぎ去った過去のことで悩む。
自身の過去を語るとなっても、どこかソワソワしている。この選択でよかったという思いがない。本人なりに、理由をこじつけて決めるが、自己肯定感がない状態で過去を振り返っても、不安が返ってくるだけである。
ここで、自己肯定感のある人を引き合いに出すと、自分の過去に対して、自分なりのポジティブな物語を紡ぐ。大変な苦労があったとしても、その苦労ー困難があったからこそ今があると語る。選択肢が多くても、自分のなりに選択できる。
将来のことは、いくら考えても決めつけることはできない。それまではうまくいくと思っていても、急に流れが変わることもある。将来のことに不安を感じるかもしれないが、今、この一瞬を積み重ねていく他に道はない。遠回りほど近道だ、と私は思う。