自分と向き合うとは?
よく”自分と向き合えばいいじゃん”などという言葉を耳にするが、自分と向き合うとは何なのか?どこまでいけば自分と向き合ったことになるのか、そもそも自分と向き合う必要はあるのか、私なりの見解を語っていこうと思う。
自分と向き合う必要はあるのか?=>必要ない。
自分と向き合うこととは何か? => 自分を客観的に把握すること
どこまでいけば自分と向き合ったことになるか?=>
自分の夢中になれることを知れば(自発的になる、満足感が増す)
私は自分と向き合うことは必要なく、自分と向き合うことは、客観的に把握することだと考えている。自分を客観的に捉えると、自分の夢中になれることを”知ることもある”と考えている。しかし、これは自分と向き合えば必ずそうなるかと言えば、そうではないと捉えている。自分を客観的に捉えずとも、自分の夢中になることを知れば、自発的になる、満足感が増す効果があると思っている。これらについて詳細を語っていく。
自分を客観的に把握することとは、様々な切り口から自分の立ち位置を理解するということだ。例えば、性格診断では自分は内気で自分で何かするのが好き、といった具合だ。計算することと、絵を描くことどちらが得意か考えたり、どんなことを自然とする傾向があるのか理解するのだ。別にこっちの方がいいと思う必要はない。ある切り口で見たときに、どんな要素があって、自分はその中でどのような特徴があるのか見出すのだ。この切り口は無限だ。例えば、本屋さんに行った時にどのコーナから立ち寄るでもいいし、コンビニに行った時は何を買うでもいい。自分が取り得る行動から、何を重点的においているかが見えてくる。
例えるならば、これは就職活動の時の自己分析になるかもしれない。しかし、自己分析はやりすぎると、”自分らしさ”をなくす。考えれば考えるほどこたえはないので、元々の自分の良さというものが影を潜めてしまう。なぜ影を潜めるかと言えば、エゴがあるためである。こうなるといいな、これが強そうだな、安定しそうだなといった具合である。自分を優位の立場に置きたい、成長したいというのは本能的な思考である。考えれば考えるほど、世の中のことに詳しくなり、いわゆる"勝ちパターン"というものが見えてしまう。世界を、枠組みを、ルールを理解するので、こうするとうまく行きそうと予想するのである。すると、思考が偏る。それがいいと無意識的に思ってしまう。そのギャップに悩み、元々の自分の良さ、無邪気さがなくなっていく。
自分と向き合うこととは、自分を客観視することである。その中で、世の中のことを体系的に把握し、その中で自分の置かれている場所を知る。このことは、思考に偏りを生む。ただ、自分の強み、弱みを理解することはできる。戦略を立てられる。ただ、自分と向き合ったからと言って、自分の夢中になれることを知ることには繋がらない。自分が夢中になることは、やってみて初めて気が付く。集中して初めて気が付く。
それでは、”夢中になれること”とは何であろうか。それは人からの評価もなく、自分が自分にこたえることができることである。人が下手と言おうと、人が無理だと言おうと、楽しいからいいじゃんとできることである。夢中になれることは、安心した状態で初めてできる。それ以外の状態で、何か取り組んだことに集中しても、それは依存的な状態である。不安だからやっている。
安心することは、どんな状態でもできる。休息してゆっくり休めば、頭を空っぽにできる。いわゆる無になるという状態だ。緊張しているわけでもなく、リラックスしているわけでもない。いつの間にか時間が過ぎていたという状態である。ただし、寝ているわけではない。この状態であると、自分は大丈夫と思える。自分のことを結果的に客観視している。
夢中になると、自分からあれこれ動く。試行錯誤する。そこに正解はない。その取り組みは、自分にこたえている。満足感が増す。より満たされる。