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編集人の京都の朝をぶらぶら◉異形の京都御所
1月の三連休のときに参加した京都御所(以降は御所)のフィールドワークがあまりにも良かったので、午前9時の開門を待ち、昨年の大河ドラマ「光る君へ」を惜しみつつ、ぶらぶらしてきました。
現在の御所が平安時代から遺っているものと思われていたら、ごめんなさい。これからご紹介する御所の中心的建物、紫宸殿や清涼殿は、安政度内裏と言われる江戸時代後期に建てられたもので、千年を越える歴史を持った建物ではありません。
一方で、そのことが、ある天皇の登場により御所を面白い建築空間に変えていったので、まずは紫宸殿からご紹介していきます。
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ある天皇とは、光格天皇(1771〜1840、在位1779〜1817)で、幕府に強い態度で臨んだ天皇だったようです。安政度内裏は、その光格天皇が天皇の権威=朝儀の復活ということで、安政度内裏の70年ほど前に建てた寛政度内裏の影響を受けており、紫宸殿は、平安時代に比べると、柱頂部に組物があるなど、かなりのラージサイズ。朝廷の重要な儀式をおこなうためには!ということで、かなりの意気込みと想像力を膨らませて建てたので、このような姿になったのかもしれません。
では、本来の紫宸殿の姿というと、仁和寺金堂が慶長度紫宸殿と言われているので、こちらをご覧いただくとその違いがわかります(イラストマップ上の金堂をクリックしてください)
次に清涼殿へ。
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清涼殿は、本来は天皇の日常のお住まいとなりますが、紫宸殿と同様に重要な儀式をおこなう場所としての意識が強く反映されていて、天井がかなり高く、外観は屋根の下が間延びした異様なプロポーションになっています。3枚目の写真は、本来は土の上でおこなわれた儀式をイメージして復活したため、このような土間を設えたようです。
他に、天皇家と言えば神道のイメージを強く感じますが、御所を囲む門の装飾や御三間の襖絵におやっと思うものが、、
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最初の写真の唐門(宜秋門)の装飾や2枚目の写真の御三間の襖絵が中国風で、光格天皇よりも前の時代に、御所の建物が仏教の影響を受けていたことが分かります。
安政度内裏にかなりの影響力を示した光格天皇は、後桃園天皇が22歳の若さで皇子もなく崩御したことにより世襲親王家の閑院宮家から即位した傍系の天皇であったため、徹底的に権威=朝儀にこだわったのでは? とフィールドワークでも議論になりました。
最新の研究では、光格天皇は村上天皇以来およそ800年ぶりに天皇号を復活させたり、その存在が幕末の討幕につながったのではないか、ということですが、明治以降の近代•現代の天皇は象徴的役割が強く朝儀や権威からは離れていくので、皮肉さを感じます。
と、京都御所の建物は、かなりの情報量があり、一回ではご紹介しきれない場所です。一方で、勉強をしていくとかなり楽しめますので、いろいろと学んで、またご紹介したいと思います。