編集人の京都の朝をぶらぶら◉9月は近代京都の名庭師作庭!? 円山公園から
早いもので9月も半ばになりましたが、少し遅めの最初の投稿は、祇園の八坂神社の東側にある円山公園から。
ここは、八坂神社が江戸時代以前に神仏習合の祇園社(祇園感神院)であった頃の東山側の境内地とその先の山沿いの一帯(真葛ヶ原、六阿弥)。神社仏閣の境内地が分け隔てなく人々が賑わう場所であったことから、明治6年(1873年)の太政官布達で公園になっていった経緯があります。
この瓢箪池と言われる橋から見える景色は早朝ですと日の出で逆行になりますが、春夏秋冬に合わせて彩りが変化する一連の自然はほんと美しい。
実は、この景色はここが公園になるうえで設計された近代以降の景色なのです。子どもの頃から慣れ親しんだ景色なので、にわかに想像し難いのですが、山際が六阿弥という遊興の場所で、明治時代後半までは高い建物が建っており、今とは全く違う景色だったようです。
その景色を創り出した一人が、近代京都の名庭師、七代目•小川治兵衛(植治)。植治作庭で有名なのは、蹴上にある無鄰菴や岡崎の平安神宮の神苑などです。
無鄰菴と言えば、山縣有朋。施主山縣の発想は大胆で、近代以前の庭の中心は「池=海」で中島を理想の地としていたのですが、「川」を取り込むことで自然の風景を再現する庭に変化させていきました。
その実現に一役買ったのが小川治兵衛でした。
川の上流に向かうと川底の石の大きさがだんだんと大きくなり、削られていく前の形に近づいていきます。滝のまわりのゴツゴツした石には自然の力強さがあり、川のストーリー性に感動します。
川の近くの道にチャート(岩石)を置いて、庭を歩く人の視線にアクセントをつけるのも小川治兵衛の特徴です。
しかし最近、京都のアカデミックな機関から小川治兵衛作ではないという見解が出ており、それに対してデザイン性の特徴から反論もあり、はっきりしていません。
後者推しの私としては、公園という誰でもアクセスできる場所で、小川治兵衛の素晴らしさを体験できますので、一度は訪れることをおすすめします。