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【メンタル不調】⑧:ほぼ寛解したと思われる時期〜結婚(1度目)まで

前回は、寛解に向けて動き始めた頃を書きました。
今回は、ほぼ寛解したと思われる頃について書きたいと思います。

前回書きましたが、きちんと休もうと実家へ戻りました。
実家に帰ってやり始めたことは宅建の資格取得の勉強でした。
法学部卒なのに法律関係の資格が何も無かったことが悔しかったこと、家が好きなので、その後に就く仕事に活かせるようにしたかったので取得することにしました。

この時はニートであることの恐怖心だけで動いていたような時期です。

宅建の勉強は目が覚めた瞬間からはじまりました。
インプットはほどほどにして、起きてまだ目が半分くらいしか開いてないくらいから、アプリで⚪︎×問題を解く。
そのままYouTubeで無料の講義動画を聴きながら朝の準備をして図書館へ行って夕方まで勉強。夕飯食べてまた寝るまで勉強。
たぶん人生で一番勉強した時期だと思います(大学は指定校推薦のため受験せず)。
これを6月〜10月までやりました。
途中で30歳の誕生日を迎えました。こわかったです。30歳ニート爆誕。

宅建の勉強は、しんどい、という気持ちよりも計画を立ててその通りに動ける自分を嬉しく思い、やっていたのを思い出します。
そして、無事試験に合格できました。
その後は続けて、FP2級や証券外務員、ITパスポートなどの資格をとりました。
他にも取得した気がしますが、小さい資格すぎてもう思い出せません。

ある程度勉強したかった資格を取り終えたあとは、買物依存症の頃にため込んだ雑貨やおもちゃをヤフオクで売るということをはじめて、復帰のためのお金を貯め始めました。
と同時に、とにかく断捨離をしまくりました。
そしてダイエットも開始して、20kgちょい痩せたところでまた社会復帰に挑みました。
この間に少し、自分に自信がついたと思います。

で、ですね。それなのにですよ。
また面接を受けた先が…
まさかの同じ地獄のコールセンター。笑
もう、思い出しても呆れてしまいます。
でもさすがに面接に落ちました。そりゃそうですね。

その頃はもう既に一人暮らしを開始していた時期なので、人生つんだかも?ってマジで思ってしまったのですが、よくよく考えたら不採用でほんっと良かったと思います。
あのまま、また同じコールセンターに行っていたら、せっかくついた小さな自信が折れていたと思います。

そのあとようやくコールセンターではないところに面接に行きました。
宅建を活かすために、某不動産管理会社の派遣社員の職に就きました。
恥ずかしいのですが正直に書きますと、ここは3日で辞めました。
隣の席の社員さんが、その前に座っている部下を一日中しょっちゅう怒鳴りつけるということと、電話に出るっていうのが怖くて仕方がなかったんです。その頃、オフィスで電話に出ることが怖いっていう恐怖心が芽生えてしまいました。

で、ですよ。
そのあとまた就活するのですが…
また!コールセンターに!!
別のところだけど、またまたコールセンターに…
当時はもがいた末の決断だったのですが、こうやって書くと、とっても恥ずかしいです。
このコールセンターでは、1年ほど働きました(ちなみに忘れていたのですが、他にも1〜2週間で辞めたコールセンターが2ヶ所ほどあります)。

昔を振り返ると、こんな人間がどうやって生きていけるんだろうかって感じますね。

ある意味、この新しいコールセンターで働いていた時期はメンタルが少しだけ安定しておりました。
思い当たる理由は、職場の上司や派遣の営業さんが皆さん良い意味で大人だったこと。それに、加圧トレーニングなどを始めてダイエットを継続できていたことが理由だと考えられます。

そして当時付き合っていた?らしき人といろいろあり、結婚することになったため、1年ほどで退職いたしました。
そしていろいろあり、なぜか私の実家近くに家を借り、生活することになるのです。

今回は、ほぼ寛解したであろう時期についてを書きました。
次回は、結婚生活(1度目)について書きたいと思います。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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