見出し画像

この国で幸せになるのは難しい

日本で幸せになるのは難しい。正確に言えば至難の業だろう。

幸せになりたいかと聞いても多分殆どに人は幸せがどんな状態なのかもわからないだろう。忙しい日々の中に、なにかそれっぽいものを幸せと言い聞かせることが限界だろう。
笑顔全開のポジティブ面した、心理学を宗教のように扱う野良カウンセラーもどきが主張することが幸せなのだろうか。

そんなネガティブ面した、哲学を宗教のように扱う野良無能社会人が主張する幸せの記事です。

周りのマネをしても〇〇にはなれるが幸せにはなれない

残念ながらこの国は幸せではない

世界の幸福度ランキングはご存知だろうか。国連が世界各国の幸福度に関する報告であり、150以上の国・地域について、それぞれの幸福度を数値化したランキングを発表しているらしい。

調査で用いられるのは、主観的な幸福度を調べるためのキャントリルラダー(Cantril ladder)と呼ばれる11件法である。「0」~「10」までの11段階のはしごをイメージし、自分自身の生活への満足度が、いまどこにあるのかを判断していく調査手法だ。

1.一人当たり国内総生産(GDP)
2.社会保障制度などの社会的支援
3.健康寿命
4.人生の自由度
5.他者への寛容さ
6.国への信頼度

以上の6項目で判断されるらしい。
詳しくは以下のURLの記事を見てほしい。

ちなみに日本のランキングは56位
先進国の中ではワーストと言ってもいいだろう。

要するに他の国を比較すれば、残念ながら幸せな国ではないのだ。

たまに「幸せだと思えば幸せ」みたいなマインドさえ変えれば今すぐに幸せになれるという心理学引用人間がいる。流石にこの順位でそれを言うのは無理がある。マインドだけではなんとかなるものではない。

ランキングを大きく落としている要因を推測すれば、
「4.人生の自由度」「5.他者への寛容さ」の2つは必死だろう。
それ以外は最低限以上は揃っているはずだから。

周りが幸せではない状況では

周りが幸せではない状況では何が起こるのか。
結論からの述べると、周りのマネをしても幸せになれないということだ。

例えば勉強ができる優等生が自分の席の隣で友人だとしよう。
その優等生を同じような勉強をしていれば多分学力は上がることは想像はできるだろう。学習スタイルは別としても、学習時間が同じであれば、少しくらいは伸びることは期待するだろう。

周りの人と同じことをしていれば、同じような結果になることはある程度は想定できる。全く同じにはならないだろうけど、ある程度は同じになる。

要するに、周りが「幸せではない」という結果なら、そのプロセスをマネてしまったら、自分も幸せではないという結果になる可能性は極めて高くなるだろう。

そのため、日本にいる以上は周りのマネをしている限り幸せになれないのだ。

豊かではあるこの国

でもこの国は豊かではある。
落ちぶれてもGDP3位の経済大国であり先進国だ。

だから周りは豊かではあるのだ。
日本で餓死で死ぬ人間は限りなく少ない。それくらいセーフティネットもある。

周りのマネをしていれば豊かにはなれる。
学校に十数年間通い、学力を必死につけて、就活で必死に内定を確保し、会社内で昇進昇格を目指す…。周りと同じように頑張り続ければ豊かにはなれるのだ。
もしかしたら、今のブームである副業や投資、転職なんかも周りのマネなのかもしれない。

日本にいる限り、日本という国自体が経済的に豊かである以上、
周りのマネをしていれば豊かにはなれるし貧困にはならない。

豊かにはなれる。ただそれが幸せなのかはわからないけども。

幻想に縛られる

ここまで周囲をマネても豊かにはなれるが幸せにはなれないと主張してきた。
ここからは周囲について考えてみる。

幸せと思われているもの

日本において幸せだと思われているものを上げてみる。
結婚、子供、車、家などだろう。

結婚ほど縛られるものはない。一度結婚したら死ぬまで契約させられる、いわゆる終身契約となってしまっている。離婚すればバツイチとなり印象が悪くなる。
若年期に出会った人間同士が数十年かけて人間性が変わらないわけがない。
反りが合わない夫婦が続出するもの無理ない。

子供を持つこともそれこそ20年の責任が伴う。20年という歳月のうち、自分の経済状況がどうなるかなんて予測できる人はいないだろう。
特に上記の夫婦関係や仕事など行動に制限が伴う。

車、家はローンなどで縛られやすい。
また住居が固定されやすいので自由から遠のく。

以上、ここまで簡単に日本で幸せの権化とも思われてきたことを簡単に否定してみた。

幸せだと思われているものは、幸せとはリンクしない幻想に過ぎないのだ。
幻想に縛られた人は、それらを手にしてから幸せとは違ったことに気がつくか、幸せだと思いこむことでやりすごす。

幸せという目的のための手段だったはずが、いつからか目的になってしまった。もしくは目的を見失ってしまった。
人間は目的と手段を誤るとき失敗する。

海外では、特にヨーロッパでは事実婚(籍を入れない結婚)が多く、離婚も常習化している。そのため婚外子も多い。家も海外では中古価格が高騰することから資産として値が上がり続ける傾向にある。
事情が違うことから察するに日本の認識は変えないとキツイところもある。

豊かでもなくなってきた

上記でも「豊かにはなれる」と再三書き続けた。
それも徐々に終わりを迎えつつある。

少子高齢化により日本の人口減少は免れない。
そうなると経済の規模は縮小することは間違いがないだろう。特に効率が悪いこの国が劇的な改善を少子高齢化を超えるスピードで成し遂げるとも思えない。

それに付随して、経済格差はますます深刻化している。
お金持ちはよりお金持ちになる、中間層は減少し、貧富の格差は拡大するだろう。

周りのマネをしていると「豊か」「貧困」のどちらかに偏る可能性はありえる。今はまだ大丈夫かもしれないが近い将来そうなるかもしれない。

どうするか考える

仮説1:マネをしないように頑張る

マネをしても豊かにはなれる。一方で幸せにはなれない。
ならマネをしなければ幸せになれるかもしれない。ただ豊かにはなれない。

そこらへんを歩いている浮浪者のようなホームレス。
一見不幸せそうにみえる。もちろん豊かとは思えない。ただ不幸という感じもしない。もしかしたら、仕事で辛い思いをしている、学校でいじめられている、夫婦仲が悪い。そんなわたしたちよりも彼ら彼女らは幸せなのかもしれない。

だからといって彼らのようになれとは言わないし、自分もなりたいとは思えない。ただどんな思いなのかくらいは聞いてみたい。

マネしないためにも周りをよく観察し分析する。
そこからそれらを合理的理論的に否定しマネを回避することをする。
マネをしないように頑張るとはこんなイメージだ。

仮説2:真理を追求する

スピリチュアルっぽく捉えられるかもしれないけど、そうではない。

物事の普遍的で変わらない部分を見つけ出すことであり、共通した主張や考えを見つけ出すことが重要なのかもしれない。
例えば「結婚は墓場」がある。それについて考える。ちなみに意味は「恋愛と違って結婚するとさまざまな制約を受けるので、人生が不幸になってしまう」らしい(本来の意味は違うらしいが)。
そこから仮説を立てつつ、真理である部分を見つけだす。そうすることで安直な行動はしなくなり結果も大きく変わってくるだろう。

先人の知恵を借りながらも、
現代や過去を分析しつつ、未来を予測する。

それこそ真理の追求である。

最後に

日本で幸せになるのは相当難しいだろう。

ちなみに幸福とは、
幸(ハッピー)+福(ラッキー)の組み合わせである。
幸福はさらにラッキーが必要なのだ。
落合陽一の日本再興戦略あたりに書いてあった気がする。