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書き起こしは世界が変わる

大学時代にアルバイトしていた「ノートテイク」という仕事の話をしよう。

ノートテイクとは、耳の聞こえない聴覚障害を持っている人のために、筆記で話を伝えること。筆記で伝える人のことをノートテイカーと呼ぶ。

大学で半年だけ仕事して思ったことを綴ろうと思う。

ノートテイクとの出会い

ノートテイクの出会いに特別なエピソードはない。
大学内のボランティアサークルで活動している際、教務課の職員さんが「来年度から聴覚障害の学生が入るから、講義の内容を筆記で伝える仕事を募集しようと思ってる」とおっしゃっていたので、興味があったので募集してみた感じだ。

募集した理由は特にない。普通の学生がしなさそうなことで楽しそうだったからとかだと思う。軽率な理由な気がして今は反省している。

春学期募集して、実際に仕事をしはじめたのは秋学期である。
その当時4年だったので、できても半年しかできなかった。

「耳が聞こえない」というハンデ

ノートテイクド素人の自分でしたが、1日の講習があり、そこで聴覚障害者のことやノートテイクの心得や技術は教えてもらえた。
難しそうに見えますが、アルバイト学生の全員初心者ですし、高い水準の技術なんて求められてはいません。
手話と違って、筆記は最低限できるので、集中して聞いて書き、相手への気遣いを怠らないこと求められました。

耳からの情報量は多く、聴覚障害の人は情報不足になることが非常に多いと講習会で知った。確かに文章化されない情報はとても多い上、声以外にも周囲の音から情報を得ているので、聞こえないとは圧倒的に不利な状態だ。

できる限り多くの情報を与えられるように必死に書こうと心に誓った。

聞く→書く の限界をみた

秋学期になり実際に業務がスタートした。
聴覚障害の学生は自分の隣に座って、自分の書いたノートを見るという形式。
席の前の方で先生の話とともにノートを書く。少し異様な風景なのかもしれない。というより、大学生がノートをとらなさすぎるのが問題でもある。真面目に講義を聞けとは思ってた。

先生の話をノートに書き起こす。
実際にやってみるとわかるが、全て書くことは困難極まりない。なので、要約する必要性がある。でも、聞く→書くから、聞く→要約→書くと工程が増えてしまう。ただでさえ考えていたら先に進んでしまうのに、文章構成を意識した要約を入れる神経は脳のリソース的にどこにもない。

要約といっても、簡潔にまとめてはいけない。
だって、情報量が減ってしまう。
自分がまとめてしまったら、自分の尺度で情報を取捨選択してしまう

情報量を維持しつつ、書き起こせる程度まで要約する。文章構成がめちゃくちゃにならないようにわかりやすくする。
ノートテイクは奥が深いと思った。

ノートテイクの効果

ノートテイクをすると先生の話以外にも、要約をする関係上、黒板やスライドなどを書く必要が出てくる。

先生の話を聞いて、
頭で要約・文章構成を整えて、
書き起こし、
相手の反応をみて、理解しているか判断する。
情報を足したり、言い換えの言葉を加える。

上記の工程を講義が終わるまで、ずっと続ける。

インプットとアウトプットを高速で回していることに気づいた。
それと、仮説と検証も同時におこなっている

これによって、受講しているわけではないが、講義の受講生の中ではダントツで内容が理解できている状態となった。

人の話を聞くだけでは理解なんてできない。
メモでもいいので「人に伝えるように書く」ことが、理解力をあげることがわかった。

実際のノートテイク中の様子

かわいそう ではない

聴覚障害の学生。
勿論、今までいろんな講演会や啓蒙活動での話を聞いてきて、そのような方々がいることは知っている。ただ、実際に自分の周りにいるわけではないので不安ではあった。

担当した2人の聴覚障害の学生は、いたって普通の大学生だった。
1人は補聴器をつけていて、知識のある人は耳元でわかるかもしれない。
もうひとりは補聴器をつけていない。

見た目はどこにでもいる大学生。
耳が聞こえなくても街なかは普通に歩ける。故に、聴覚障害であることが気づかれない。音という情報が得られないまま、困っていても手助けされることはないのかも。

ただ、かわいそうとは思ってはいけないのかもしれない。
だって彼ら彼女らは、「聞こえない」が普通で生きてきた。
聞こえないことが”かわいそう”と思える社会は、耳が聞こえる人が作っている。

「聞こえなくても別にいい」と思ってもらえるように、手を差し伸べて手助けしてあげることが大切なのかも。
必要なのは、的外れな共感ではない、協力だ。

現に2人は楽しそうだった。

最後に

ノートテイクは半年しかできなかったが、様々なことを学べた。
とてもいい経験ができたこと感謝してる。

「秋学期からスタートしたって、春学期はどうしたのか?」と聞いてみたら、春はノートテイカー自体ついていなかったらしい。
自力で講義内容を理解して、テストに挑んで単位を取ったらしい。
並大抵じゃないことをしていただなんて思いもしなかったけど、彼ら彼女らからすると普通のことみたい。

かわいそうで終わらせないように、
かわいそうとは思わないようにしよう。
それが大切なのかもしれない。

(実際に聞いてみた際のやりとり)