タフラブ 絆を手放す生き方
はじめに
こんにちは、dZERO新人のHKです。今回は臨床心理士で、原宿カウンセリングセンター所長の信田さよ子さんの『タフラブ 絆を手放す生き方』を紹介させていただきます。
タフラブとは、新たな時代の人間関係のキーワード
概要
タフラブ(tough love)は、ベトナム戦争帰還兵のアルコール依存や暴力に苦しむ家族が「生きる術」として生み出した概念で、日本語では「手放す愛」「見守る愛」などと訳されています。東日本大震災以来、困難を乗り越えるためのキーワードとして「絆」が使われて来ましたが、本来は牛馬をつなぎとめる綱のことです。親子や夫婦、世間の絆に苦しめられて来た人々のカウンセリングを長年続けて来た著者は、絆に疑問を投げかけ、「タフラブ」という生き方を紹介します。タフラブは、寂しさと隣り合わせであり、タフネスを要求します。「理解し合いたい」という身勝手な欲望を手放し、タフに生きるには、どうすればいいのかを示します。『タフラブという快刀』(2009年)を改題し、加筆・修正・再編集した作品です。
著者紹介
著者は、臨床心理士、原宿カウンセリングセンター所長の信田さよ子さん。信田さんは1946年岐阜県に生まれ。お茶の水女子大学大学院修士課程修了後、駒木野病院勤務、嗜癖問題臨床研究所付属原宿相談室室長を経て、1995年原宿カウンセリングセンターを設立しました。アルコール依存症、摂食障害、ひきこもり、ドメスティック・バイオレンス、児童虐待に悩む人たちやその家族のカウンセリングを行っています。
この作品のポイントと名言
アルコール依存症をはじめとするアディクションの世界では、「手放す愛」をタフラブとして家族の対応として推奨してきたのだ。(まえがき、p1)
「タフラブ」(tough love)は、日本語では「手放す愛」「見守る愛」などと訳されている。(序章、p18)
密着し、尽くすことで夫を救うことはできなかった。それよりも、勇気をもって手を放すことが、結果的にアルコール依存症から夫たちを救った。それこそが、愛なのではないだろうか。(序章、p23)
がまん強い女性が日本では「強い女」とされてきたように思う。しかし実際には、それらにどれほど「共依存」が含まれているだろうか。(序章、p32)
相手が生きていけるように、生きていくために、自分の持てる力をより発揮できるように、手を出さない、手を貸さないというのがタフラブである。(序章、p35)
日本の妻たちにとって何よりも必要なことは、愛なき結婚から脱出できる自由である。そんな自由もなく、経済力がないという理由や世間からの目に見えない圧力によって牢獄のような結婚生活を続けざるをえない女性にとっては、タフラブなどはありえない。(序章、p35)
日本の家族や社会は、離婚や親子の分離などの「切断」を激しく忌避する傾向にある。そうした中で、ある種の切断を意味するタフラブを実行するには、外科手術にも似た大きな勇気とエネルギーがいる。周囲から非難を浴びせられる可能性も高いだろう。(序章、p38)
世の中には、常識によって甘い汁を吸える人と、それによって圧しつぶされ抑えつけられる人の二種類がある。(序章、p40)
人はだれもが自我をもち、基本的人権が認められるとされているのに、それとは逆の「家族」像が称賛される。これが家族をつくることの大きなねじれとなる。(第一章、p54)
そもそもDVが犯罪だとすれば、DV夫こそ家から出されるべきなのだ。(第一章、p80)
家族の中では、外の世界では犯罪とされることが平然と行われている。性犯罪、暴力、窃盗などのあらゆる犯罪が許されている。社会が自由競争をあおり、自己責任を強調し、規律を強化すればするほど、人は家族の中でガス抜きをするようになる。(第一章、p86)
「母性」と聞いて、どんなイメージをもたれるだろうか。(第二章、p92)
これまで書いてきたことをひっくり返すようだが、じつは「母性本能」などというものはない。(第二章、p94)
じつは、息子が世間に誇れるような人間に育たないことで、父親自身が傷ついたのではないだろうか。(第二章、p106)
タフラブは、親子や男女関係だけでなく、教師、医師、カウンセラーなど、あらゆる援助職に求められる概念なのだと思う。(第二章、p112)
タフラブは、「理解し合いたい」「コミュニケーションをとりたい」という、時には身勝手な欲望や思い込みを手放す愛でもある。(第二章、p120)
「超えるべき父親の存在」などとは無縁でも、父親がリスペクトの対象でなくても、子は育つのだ。(第二章、p124)
私は私、あなたはあなた。私はあなたではなく、あなたは私ではない。(第三章、p135)
揺れることはかまわない。戻る地点さえ、ブレなければ。これがきれいに切るコツである。そうすることで、タフラブが可能になるのだ。(第三章、p143)
これはどこかアルコール依存症の夫を持つ妻たちの切り分けに似ている。「飲む飲まないは夫の問題」と同じく、「母の人生は母の問題」なのである。(第三章、p152)
孤独感とは、私が私であることの裏返しであり、私を忘れれば孤独感もなくなるだろう。こうして私たちは他者と密接になることを、他者と一体になることを欲するのだ。(第四章、p164)
タフに生きることは、寂しさに耐えることではない。寂しさとともに生きることだ。(第四章、p166)
じつは結婚とは、夫に捨てられたら食べていけない、女でなくなる、すべてを失ってしまうという恐怖を味わわせるためにつくられた巧みな装置なのではないだろうか。(第四章、p170)
「タフラブ」とは「手放す愛」であって、「突き放す愛」ではないということ。(第四章、p188)
タフラブは、寂しさと隣り合わせだ。いつも、隣には寂しさの気配を感じるだろう。さらに、タフラブは、タフネスを要求する。(終章、p202)
新たな時代の人間関係のキーワードが、タフラブである。これまでの、もつれ合い、絡み合った関係からの解放のために、タフラブこそ必要とされる。(終章、p203)
dZERO新人HKのひとこと
世間でもてはやされている「絆」こそが、人間関係を苦しめる原因になっていたことに驚きました。東日本大震災から、「絆」はいいものだともてはやされるようになり、なんとなく息苦しさを感じていましたが、この作品を読んで心がほっと軽くなりました。コロナ禍のステイホームで、絆の息苦しさに多くの人が気付いたのかもしれません。
家族や人間関係を楽にするためには、絆ではなく、タフラブという概念の方が重要なんですね。タフラブを実行するには、他人と自分を区別する寂しさを受け入れる必要があります。他人や家族と繋がりたいと思いつつも、他人は他人、家族も他人、自分は自分と考えることは、タフネスが必要です。タフラブを実行できれば、寂しさもあるけれど、絆によってもたらされるしんどさから解放されるのではないでしょうか?
おまけ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?