ユニコーン企業「SmartHR」のビジネスモデル図解と事業戦略
今回は、国内6社目と言われているユニコーン企業(推定評価額が10億ドルを超える創業10年以内の未上場企業)となった、クラウド人事労務ソフトの「SmartHR」について事業戦略とビジネスモデルを図解したいと思います。
SmartHRとは、クラウド上にある人事労務ソフトで、入退社の手続きや、社会保険、年末調整などの面倒な手続きを効率化してくれるサービスです。
2015年11月に正式リリースをしたSmartHRですが、2021年6月のシリーズDラウンドでの156億円の資金調達の後、推定評価額が1731億円(15億ドル)に達したことでユニコーン企業となりました。
しかし、わずか6年足らずという短い期間で、SmartHRはどのように事業を拡大させたのでしょうか? その秘密は、調達資金をレバレッジの効きやすい打ち手にバランス良く資源配分できたことにあります。
ここでは「ループ図」という手法を使って解説していきます。以下のリンクではシステム思考の「ループ図」および、「ビジネスモデル」について詳しく解説していますので、ぜひご覧ください。
SmartHR創業時とユニコーン化後のビジネスモデルを俯瞰する
まずは、2015年11月のサービスを正式リリース時のビジネスモデルから。
そして、こちらが2021年6月8日にユニコーン化した時のビジネスモデルです。
ぱっと見、要素が増えていますが、基本的なループの構造は変わっていません。つまり事業戦略の基本構造は変化していないということ。
リリース後にも何度も戦略を切り替えて、調達資金を効率的に使えないスタートアップも多い中、SmartHRは一直線にユニコーン化した印象。これは凄いことです。
基本構造1:顧客の母数を増やす信頼性のループ
まず1つ目のループは、SmartHRというブランドの信頼性を高め、顧客となる企業の母数を増やす内側のループです。
顧客の母数を増やしていくためには、上記のような、
「導入実績」が多いから「ブランドの信頼性」が高まる
「ブランドの信頼性」が高いから「顧客数」が増える
というループを回す必要があります。
特に、月額や年額で費用を徴収するSaaS(Software as a Service)では、ルプの右にある「継続顧客数」をいかに増やすかが収益の要であり、事業拡大には新規顧客獲得による顧客基盤の強化が必要不可欠です。
基本構造2:HR業務の効率を改善して継続顧客を生むループ
2つ目のループは大きく外側を回る、顧客の業務効率化を実現するこちらのループ。
こちらは1つ目のループで獲得した新規顧客の、長期的な定着を図るループとも言い換えることができます。
SmartHRの提供価値は、なんといっても「人事労務関連業務の効率化」に他なりません。(上記ループ図では「顧客のHR業務効率化」が該当。)
ここを伸ばすためには、
得た「利益」を「顧客のHR業務効率」の改善のために投資する
「顧客のHR業務効率」が改善されれば、顧客体験の向上によって「顧客ロイヤリティ」が高まり、SmartHRに業務を依存させることで「スイッチングコストが高まる
「顧客ロイヤリティ」と「スイッチングコスト」が高まれば「継続顧客数」が増加する
得られた「利益」を「顧客のHR業務効率」のために投資する
というループを回すことが重要です。
ユニコーン化しても基本構造は変わらない
ここでもう一度、ユニコーン化した後のビジネスモデルを見てみましょう。
リリース当初よりもループがかなり強化されていますが、先ほどの2つのループが基本構造にしっかりと組み込まれていることがわかりますね。
では、ここからはユニコーン化に至るまでにSmartHRが実施した戦略の打ち手を解説したいと思います。
新規顧客獲得戦略の3つの施策
新規顧客獲得においては、
呼び水となった初期ユーザー200社という「導入実績」
「¥0プラン」提供による「導入ハードル」の押し下げ効果
社会的信頼性を高めた「TVCM」によるプロモーション
の3つの策が高い効果を上げたように感じます。
これらをビジネスモデル図の上で強調したものが以下の図です。
呼び水となった初期ユーザー200社という「導入実績」
B2B事業で最初の障害となるのが「導入実績」です。法人の担当者に新商品・新サービスの営業をかけたとしても「他社の導入実績は?」「うちと同じ業種の事例は?」などなど質問されるのが世の常。駆け出しの事業は、このフェーズがなかなか越えられません。
SmartHRも、もちろん初めは導入0社でした。では、どうやって新規顧客獲得のための導入実績を作り上げたのか?
それは社長(当時は宮田氏)による地道なトップ営業でした。数々のテック系イベントや交流会への参加、知り合いからの紹介など、社長自らの足でSmartHRを営業して回ったことで、リリース直前までに200社の導入実績を確保することができました。詳しくは以下の記事で語られています。
その結果、正式リリース時点での導入実績200社の信頼性を呼び水として、新規顧客の獲得のループを回し始めることができました。
「¥0プラン」提供による「導入ハードル」の押し下げ効果
シリーズAラウンドの5億円の資金調達後に行った施策が「¥0プラン」です。「¥0プラン」では、一部の機能が制限されるものの、従業員が5名以内であれば無料でSmartHRを利用することができます。
この「¥0プラン」をリリースした当時は、小規模な顧客も多く、収益性の低下要因となっています。しかし、中長期的に見れば「導入ハードル」の押し下げによる新規顧客の獲得が、収益基盤とブランドの信頼性の醸成に繋がります。
SmartHRはその後も「10名以内」→「30名以内」と「¥0プラン」の適用範囲を拡大させています。一方で、事業の成長とともに顧客の従業員数も増加しているため、収益性への影響は非常に小さいはずです。
短期的には収益の一部を失う施策でしたが、「導入ハードル」を下げたことで事業の成長速度を高める結果となりました。
社会的信頼性を高めた「TVCM」によるプロモーション
「¥0プラン」の翌年2017年におこなった施策が、首都圏でのTVCMと公共交通機関などへの広告出稿です。
その後も実際のユーザーが出演するCMや、芸能人を起用したCMなどを地域を拡大しながら放映しています。
広告媒体としては、インターネット広告がテレビ広告を追い抜くような昨今ですが。まだまだ「テレビCMでよく見かけるあの会社」という社会的な信頼感は非常に強いですよね。
テレビCMをやっている会社というイメージは、SmartHR導入の意思決定を行う層に対する信頼性の獲得という役割が大きい。しかし、急成長を遂げるSmartHRでは常に人手不足に悩まされているため、採用面でも大いに効果を発揮しているはずです。
提供価値向上戦略の2つの施策
提供価値の向上においては、
価値創造の源泉となる「カスタマーサクセス」
多様化する顧客ニーズを補う外部サービスとの連携推進
の2つの策を外すことはできません。
これらをビジネスモデル図の上で強調したものが以下の図です。
価値創造の源泉となる「カスタマーサクセス」
SmartHRはエンジニアの採用はもちろんのこと、カスタマーサクセスの採用も積極的に行ってきました。
2015年末のリリース直後は1名しかいませんでしたが、
2017年12月:5名
2018年12月:11名
2019年12月:18名
2020年12月:36名
2022年1月:83名
というように、毎年人員を倍増させています。
ここまでカスタマーサクセスにリソースを割いている理由は、SmartHRの提供価値を高めるための情報の源泉になるからです。
カスタマーサクセスには、顧客が人事労務でどのような課題を持ち、SmartHRを使う上で何につまずき、どのようにすれば効率化が実現できるか、という情報が集まります。
それらの情報を「人事労務ノウハウ」として蓄積したり、「UX/UI改善活動」としてソフトウェアの価値を高めることで、「顧客のHR業務効率」が改善され、最終的には顧客の定着によって「継続顧客数」が増加するというループにつながります。
この「カスタマーサクセス」に十分な経営資源を割り当てるという打ち手は、事業成長には欠かせない打ち手だったと言えるでしょう。
多様化する顧客ニーズを補う外部サービスとの連携推進
顧客層の幅が広がれば、ニーズの幅も広がります。リリース当初はIT業界の中小企業が中心でしたが、事業が拡大するにつれ、顧客の業種も従業員規模も変化してきました。
そのため、顧客数の増加と比例して、顧客ニーズも多様化しています。これを表したのが以下の図。
「顧客ニーズの多様化」が進めば、「顧客のHR業務効率」の向上も鈍化します。結果、事業成長の鈍化につながる。
この課題に対して、SmartHRがとった打ち手の一つが外部連携サービスの継続的な強化です。
SmartHRはリリース後の早い段階から、他のクラウドサービスとの連携を進めてきました。
自社サービスへの囲い込みを目論む競合企業が存在する中、SmartHRは非常にオープンな戦略を取っていると言えます。
この外部連携サービスの多さについては、顧客が利用している他のサービスのデータを相互に利用できる可能性も高まり、結果として「導入ハードル」の押し下げ要因にもなっています。
SmartHRのビジネスモデル図解まとめ
ここまでをまとめると、新規顧客獲得においては、
呼び水となった初期ユーザー200社という「導入実績」
「¥0プラン」提供による「導入ハードル」の押し下げ効果
社会的信頼性を高めた「TVCM」によるプロモーション
の3つの策が、提供価値の向上においては、
価値創造の源泉となる「カスタマーサクセス」
多様化する顧客ニーズを補う外部サービスとの連携推進
の2つの策がユニコーン化に大きく貢献したのではないかと推察します。
人事労務効率化市場という未開のブルーオーシャン市場において、調達資金を有効に活用し、急成長を遂げたSmartHRは打ち手が見事だったとしか言いようがありません。
ということで、SmartHRの今後の展開からも目が離せませんね。
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