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女でいるということ。

いつだったか、まだ私が小学生の頃だったと思う。母に言われた一言でどうしても忘れられない言葉がある。


「まゆ。女は死ぬまで女だからね」

そうなんだーと思った。でも、子供の頃の私はそのことを言われてすぐに理解した。

だって、私の母は、常に「女」だったから。

例えば、朝起きた時。私の母は、化粧をして、出かけられる格好に着替えてお気に入りのエプロンをして朝ごはんを作る。母がダラダラしたスウェットのような格好で家の中を歩いているのを見たことがない。

例えば、昼寝をする時。私の母は、絶対に寝転がって昼寝をしない。ただ、ソファに腰をかけて、静かにうつらうつらしているだけだった。

例えば、新聞を読む時。私の母は、姿勢よく足を組んで読んでいた。とても色っぽい人だと自分の母ながらに思った記憶がある。

例えば、近所の人に会った時。私の母は、必ず相手の名前を呼んで、いつも明るく楽しく笑顔で会話していた。それがおじさんだったりすると、少しデレデレしたおじさんがいたことも、とてもよく覚えている。

例えば、お正月。日本舞踊のような踊りを何十年も続けている母は、お正月は1月1日朝からパリッと着物を来て、お雑煮やらおせちの準備をしていた。

例えば、私が中学生くらいのある日。珍しく深夜1時近くに帰って来た母を、半ば怒鳴るような口調で父が何かを言った次の日。母の様子がとてもおかしかったのを覚えている。そして、誰かを想っている顔をしていたように見えた。 浮気をしているんじゃないかなと中学生ながらに思った。母は母じゃなく女の顔をしていた。あの顔が今も私は忘れられない。


母である前に、妻である前に、女だったんだな。

「まゆ。女は死ぬまで女だからね」

この言葉の真意は

「自分は母である前に、妻である前に女でいたい」

これなんじゃないかなと思う。

とても幸いなことに、母はまだ健在だから直接聞けばいいんだけど、なんとなくこのことを面と向かって聞くのは気恥ずかしさもある。

そして今、母はいくばかりか歳を重ねて、すっかり姉の子供たちの「ばぁば」がふさわしい風貌になってしまったように思う。(本人には怒られそうですが)笑

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死ぬまで女でいるというマインドは、私たち女性がずっとずっと持っていたいことだと思う。

女でいるってどういうことだろう?

それは、

恥じらいを持つということ。

いつも愛嬌良く笑顔でいること。

自分を女として扱うこと。

着る服に気を遣うということ。

役割ではない自分を生きること。

母とか、妻とか、ではなく

1人の女として生きること

そのことをいつも大切にしたいと私は思っている。そして、お母さん、あの時お母さんもこの風に吹かれていたんだね。この風に立ち向かっていたんだね。遅まきながら知った気がするよ。









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