曖昧さ
頑張りたいと思います、という言葉を何度か使っている。よくよく考えてみると、とてつもなく曖昧な言葉だ。「頑張ります」でもなく「頑張りたいです」でもなく「頑張りたいと思います」という言葉。
頑張りたいと「思っている」だけなのだから頑張れなくてもいいし、結果的に頑張れたのであればそれはそれで良い。そんな曖昧さが好きなのかもしれない。不確かなものばかり溢れる世の中で、曖昧さを受け入れて愛していたいと思う。というか、そうしなければとても生きていけない。
大学を卒業して会社員になり約1年が経った。友人には「会社員を1年以上続けているなんて信じられない」とよく言われる。確かに、自分でも信じられない。振り返ってみると入社した日から、自分はここにいてはいけないしここにいるべきではない人間なのだろうな、という気持ちを持ち続けてきた。そんなもやもやを抱えながら気がつけば1年が経ってしまった。
ふと、思ってもないことを口にするのに慣れてきた自分に気がついて、つまらない人間になりつつあるなと落ち込む。それっぽい建前を言いながら逃げ続けてる自分のダサさを俯瞰して、鬱屈とした眠れない夜を過ごす。
この先に用意されるものは、何なのだろうか。世間体、社会的立場、生活に困らない程度のお金、それに付随する色々なしがらみ、とか。そしてそれらは本当に自分が求めているものなのかと考えると、決してそんなことない。むしろ自分には必要ない類のものだと感じてしまうから、この場所を去るのも時間の問題であることは間違いない。
どんな自分で在りたいか。重要なのはそれだけだと思う。自分で納得できるような自分自身でいるために模索し続けるしかない。そして、今より少しでも心が軽くなるような場所に行けるといい。
4月になってから忙しさは落ち着いて、小説はコンスタントに読めている。最近読んだ中で印象的だったのは上田岳弘さんの『ニムロッド』と、沼田真佑さんの『影裏』。どちらも芥川賞受賞作であり、やはり自分は純文学小説が好きなのだと実感している。
『ニムロッド』は情報化社会の空虚さと、実存在が希薄化していくメタバース的とも取れる世界観が良かった。もろに自分が働いている業界を舞台にしてるだけあって、親近感が湧く部分も沢山あった。
『影裏』は盛岡という土地の風景描写の瑞々しさが印象に残っている。特に、川沿いの自然の叙述表現は素晴らしかった。語り手である今野と、友人の日浅という男の関係性に分け入ってくる3.11の震災。どんより影がある描き方も良かった。文庫版には『廃屋の眺め』、『陶片』という2つの短編が併録されているが、これらもまた良い。
2冊とも単行本、文庫の他にKindle版もあったので、よろしければ以下のリンクからチェックしてみてください。
純文学小説を読むと、自分の中で眠っていた新しい感情を発見できる気がする。これからもどんどん読みたいし、読んだ本はnoteでもまた感想など書けたらと思う。
では、また書きます。
読んでくださり、ありがとうございました。 今後より充実したものを目指していきます。