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英語の習得

こんにちは。
アメリカに住むのであれば、母国語並みにとはいかなくてもある程度の英語を話せたほうがいろいろと便利です。ロサンジェルスやハワイのように日本人人口の多い地域だと日本語だけでも日常生活が成り立つといった嘘か本当か分からない話を小耳に挟みますが、そういった土地に住んでいても役所や学校は当然英語しか通じないでしょうし、そもそも在米日本人のすべてがこのような特異な土地に住んでいるわけでもありません。

私は渡米当初は2年で日本に帰ってくる予定でしたが、なんだかんだで10代の終わりから20代半ばまでの6、7年をアメリカで過ごすことになりました。大学を出て日本に帰ってくる頃には、日常生活で英語に困ることはなくなっていました。
社会人になってからは主に欧米系企業で働いてきましたが、特にITに転身してからは仕事でもアメリカをはじめとする海外本社とのやりとりが増え、アメリカ、オーストラリア、香港といった英語圏の顧客のプロジェクトをひとりで仕切るケースも結構出てきました。

もともと英語が好きだったとか得意だったわけではないです。それどころか高校の英語の成績は惨憺たるものでした。

そういう状態から、「ネイティブ並みに流暢です、キリッ」とはいかないまでも、英語で苦労するという状態から気づいたら脱却していました。何か劇的な変化がある日突然訪れたとか、「絶対英語を習得してやる!」と意気込んで勉強に励んだわけでもないのですが、日々ぼーっと過ごしていたらいつのまにか英語が苦ではなくなっていました。
ぼーっと過ごしていた日々のなかで、「もしかしたらこれが効いたのかな」と思い当たる点を以下に挙げてみます。

(1)圧倒的な日本人不足

私がアメリカで住んでいた土地は比較的日本人は少なかったように思います。宇宙産業や石油産業が盛んな場所でしたので、商社の駐在員はそこそこいたのかもしれません。ただ私の父はアメリカ企業に勤めていたため、会社にいる日本人は父を含めて3人、そのうち1人は半年か1年程度の超短期アサインメントだったため、ほどなくして日本に帰ってしまいました。そんなわけで父の会社繋がりの日本人もほとんどおらず、私が日本語を話すのは家にいる時だけでした。
アメリカに引っ越してから2、3か月して私も地元のコミュニティカレッジに行き始めたのですが、そこでも日本人にお目にかかることはありませんでした。一度だけ日系企業の駐在員の奥さんと英作文か何かで偶然同じクラスになったことがありましたが、後にも先にもそれっきりです。
一方でスペイン語、韓国語、中国語圏の人たちはそれぞれコミュニティを形成し、異国の地でお互い助け合っているようでした。日本人の私は「得体の知れないボッチ」感が半端なかったのですが、最初の1学期に通ったESL(英語が母国語でない人向けの英語クラス)は韓国人や南米系といった生まれながらにアツくて世話焼きな人たちが多く、みんなボッチの私にすごく親切にしてくれました。
話がそれましたが、「アメリカに引っ越して日本語を話す機会が奪われた」というのは、やはり英語の上達に大きく寄与すると思います。

(2)テレビ依存症

アメリカのテレビはおもしろいです。すごく。冷静に考えると、ハリウッドを抱える国なので当然かもしれないですね。

アメリカに引っ越すと、友達もいないし、持ってきた本は当然読み尽くしています。日本のように気軽に電車や徒歩で出かけることもできない。
インターネットにしたって、2002、2003年当時我が家の環境はなんとダイヤルアップ回線。そもそもYouTubeやNetfilxがない時代です。

となるともうテレビつけるしかないですよね。

それまでの私はテレビに対しての免疫がまるでなかったんです。というのも両親がテレビ試聴に関して厳しく、日本にいた頃の私は自主的にテレビをつけるという習慣がありませんでした。テレビって、私にとっては少し非日常なものだったんです。
テレビに免疫のない人間にアメリカのテレビを見せるのは、鎌倉時代の日本人にチーズバーガー食べさせてるみたいなもんです。

NHK BSのキャラクターどーもくんとうさじいが、夏季オリンピックのテレビ中継に釘付けになるというエピソードがあるのですが、渡米当時の私がまさにこんな状態でした。家族が寝静まった後も、真っ暗なリビングでひとりテレビにかじりついていました。

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で、ここがミソ(のはず)なのですが、日本語字幕はもちろんありません。そのかわりアメリカのテレビって英語字幕を出すことができるんですよ。(もしかして日本のテレビでもそうですか?そうだったらすみません…今はNetflixだったら英語どころか何か国語も字幕が出せますね)
慣れない英語でも字幕を見ながらであればだいぶ内容が理解できるのです。これを1日数時間も続けていたら…そりゃ上達しますよね。

おすすめの方法としては、一度見たことがあって内容を把握している映画や番組を英語字幕でみてみる、というものです。
これなら話の内容がそもそも理解できないということもないですし、「この表現は英語でこういうふうに言ってたんだな」ということも分かります。字幕を見ながら、「どういう場面で」「どういう類いの登場人物が」「どういう口語表現を」使っているのかを吸収していくことができます。
これは言語野の未熟な幼児が、周囲の情報を柔軟に吸収しながら言語を発達させていく過程に少なからず似ているんじゃないかと思います。小さな子供が大人の言うことをまねて語彙力や手持ちの表現を増やしていくように、映像の中で使われる英語表現をまねて使う機会を増やすことで大人になってからでもある程度は外国語が習得できるというのが、実体験をもとにした私の持論です。

(3)発音の勘どころを押さえる

律儀な日本人は「日本語なまりの英語だと通じないんじゃないか、母国語話者なみの発音を身につけないと恥ずかしいんじゃないか」と思うことが多いようですが、私の経験を振り返ると発音は重要ではないです。というか、「ここをおさえておけば通じる」という勘どころみたいなものがあるのです。
例を挙げると「SH」と「S」の発音の区別があります。
「She」と「See」は日本語で書くといずれも「シー」ですが、これを区別するには「シ」と「スィ」のように明確に発音の使い分けをしなければなりません。
「Right」と「Light」も、日本語では「ライト」ですが、英語では明確にRとLを区別しないと意味が通じなくなります。ただ、ネイティブ話者のようにRを発音する必要はないです。「R」は日本語のら行と同じように発音しても通じます。「L」だけはネイティブ寄りの発音を意識して下を上前歯の裏に付けるように発声します。これらの区別を明確にすれば大丈夫です。

(4)ミニマリストになる

持っているものをすべて手放して段ボールと寝袋だけで生活しろとか、そういう話ではないです。
生まれた時から英語で育った人と同じだけの語彙を大人になってから身につけようというのは、ほとんどの人にとってあまり現実的なアプローチではありません。
ただ、日本の高校までの英語教育は、日常会話に必要なほとんどの要素をカバーしていると思います。別に難しい文法を知っていないといけないとか、たくさんの語彙が必要なわけではないです。自分が言いたいことを、いかに自分の知っている語彙の組み合わせで作れるか、という訓練のほうが実生活には役立つように思います。
例えば、資格取得のためのコースを履修していてもうすぐテストがあるとします。
「何点以下が落第になるんですか?」
と質問したいが、落第という言葉が英語でわからない場合、どうしたらいいでしょう。
「何点以下が落第か」という質問は「何点以上が合格なのか」という質問と同義です。落第という単語を知らなくても、Passという単語を知っていれば聞きたいことは聞けるわけです。
ミニマリストが流行り出してもう長くなりますが、彼らはできるだけ所有物を減らすために複数の用途に使えるものを選ぶようにしている、ということをよく聞きます。言語もこれと似ていて、自分が持っている語彙を最大限柔軟に使いこなすことで、より多くの表現ができるようになります。

語彙は増えたところで居住スペースを圧迫するわけではないので、もちろん多いに越したことはありません。英語で本を読んでみたり、上述のように映像を消費したりして新しい表現を覚えたり、知らない表現に出くわしたら面倒でも辞書で調べてみたり、覚えた表現を使うチャンスがきたら使ってみる、といった習慣を身につけることで、楽しみながら上達させることができると思います。


正直言って英語の習得・上達方法って人によって相性もあるし人によってまちまちなので、上記はあくまでも「私にはこれがよかった」という経験談に過ぎないのですが… アメリカで暮らしていくにあたり英語で不安を持たれている方がもしいらっしゃるのであれば、少しでも参考になればと思います。

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