映画日記#7 『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』(リチャード・リンクレイター監督、1995年)
いい感じの恋愛映画を観たい気分で観に行ったら思った以上にすごい映画だった。
ヨーロッパを横断する鉄道に乗るアメリカ人ジェシー(イーサン・ホーク)とフランス人セリーヌ(ジュリー・デルピー)が列車の中で出会う。ウィーンで降りて翌朝の飛行機でアメリカに帰る予定のジェシーは、ウィーンで一晩歩き回るからとセリーヌを誘う。
その後はとにかく二人で朝までウィーンを歩きながら喋りまくるだけなのだが、その時間に交わされる演技の豊かさと言ったら! もちろん会話劇ゆえセリフにも工夫が凝らされていて楽しいのだが、やはり演技。これは俳優の演技の豊かさを目一杯味わうための映画とすら言える。
例えばレコードショップのシーン。狭い試聴室に入り、つめつめで立っている二人。微妙なタイミングですれ違う視線。目が合いそうになって咄嗟に目を逸らし、それでもなお相手の横顔を盗み見ようとする目の動き。セリーヌがレコードの方を向く、ジェシーがセリーヌの目のあたりを熱く見つめる、不意にセリーヌが目線を左に動かした! 目が合ってしまう! ……咄嗟にジェシーは目線を前に向けて左右にちょろちょろと動かし、目は合わない。そして今度はその逆……。本当に演技か?! 体温まで伝わってくるようで、これは二人の俳優が生み出した最高のグルーヴとしか言いようがない。
他にも、路面電車の一番後ろの席でお互いを知るための会話を交わす二人の振る舞いは素晴らしい。相手との距離感を測るように腕を背もたれに回したり引っ込めたり。ちょっと触れさせたり離したり。
そうしてとうとう観覧車の中で、二人のグルーヴは序盤の頂点を迎える。「ほら…その…わかるだろ…?」「キスしてほしいんでしょ」。少し前に話題にしていたはずの美しい黄昏など目にも入っちゃいない。「キス」という”神聖な儀式”へのドキドキと高揚。息遣いで観客に伝えようとする。抱き合うときの心臓のふれあいまで想像させる。
それが最後のプラットフォームでの別れ際にはまったく変わる。同じキスとハグでも、感情が違うのだ。先ほどの場面は「始まり」だった。でもこちらでは二人ともいよいよ「終わり」を覚悟している。覚悟していながら、「終わり」を絶対に拒絶したがっている。高まりではなく深まりとしての愛。別れへの焦りと、フライング気味に立ち上がる寂しさ。別れに備えて互いを体の表面に覚え込ませ、しかしあわよくばこの場所に押し留めようとするようなキスとハグ。観覧車のシーンが「どっきんどっきん」ならプラットフォームは「どくどくどくどく」。こちらもカギは息遣いで、その息遣いが耐えきれないほどに達したとき、ついに感情は「また会わないか」「私もそう思ってた」というセリフとなって溢れ出る。セリフを口に出すときのジュリー・デルピーの素晴らしい息切れ!
ここまで単純なラブストーリーでここまで頭が痺れたようになるのは、やっぱり俳優たちの並外れた演技のおかげだ。誰かと見つめ合うことの快楽を観客に再確認させるような演技。
単純なプロットとミニマルなフレーミングだからこそ求められる強烈かつ繊細な演技を、二人はいとも簡単に達成してみせる。そして我々観客は、単純なプロットとミニマルなフレーミングだからこそ彼らの演技を敏感に感じ取ることができる。当たり前だが俳優というのはすごい仕事だ。リアルとか演劇的とかそういうことではないのだ。そのときのキャラクターの感情をどのように観客に伝えるか、あるいは伝えないのか。俳優の演技というものを見るのにぴったりの映画。
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