読書日記#5 ホリー・ジャクソン『自由研究には向かない殺人』
ちょっと衝撃的な面白さだったので。
今回はホリー・ジャクソン『自由研究には向かない殺人』(創元推理文庫)。
グラマースクールの生徒ピップは、自由研究のテーマで、5年前に起きた失踪事件を調べ直そうと考える。その事件は、17歳のアンディが失踪し、付き合っていたサルが警察に嘘の証言をしたことがわかった上、森で自殺したことから、アンディは何者かに殺され、その何者かとはサルだと見なされたのだった。アンディは未だ発見されていない。幼い頃にいじめから守ってくれたサルがそんなことをするはずがない、と考えるピップは、サルの弟ラヴィとともに、関係者へのインタビューやSNSを活用して、事件を調べ直すのだった。
以下、直接的なネタバレはないが、構成を仄めかすような記述があるので注意を。
高校生が自由研究で過去の事件をひっくり返そうとするという斬新なテーマ。しかしそれだけではリアリティがない。いち高校生が、警察の捜査をひっくり返すなど不可能だ。だが、本作では「なぜ警察が誤った結論を導き出してしまったか」という部分に非常に気を使って書かれているし、まさにその部分が解決への糸口になる。この構成が非常に巧い。
また、警察ではないピップは、専門的な科学捜査や広域的な情報捜査ができない。その点をクリアする工夫も十分凝らされている。その一つが、SNSの活用である。他人を騙ってメールを送ったり、鍵アカを突破したり。そうして見つける手掛かりも、正確性や重要性の担保に抜かりがない。
これらの点は、テーマに伴うリアリティのなさという課題を突破するものであるが、のみならず、ミステリの伝統「フェアネス」の担保にも一役買っている。作者は、解決までに提示された情報のみでも読者が真相に辿り着けるようにしなければならない。これはパズル的推理を軸とするエラリー・クイーンの作品に顕著で、それら本格黄金時代の作品群に強く影響を受けガラパゴス的に進化した日本の本格ミステリに受け継がれたが、本格ものが退潮した現代海外ミステリ(近年は、アンソニー・ホロヴィッツやポール・アルテのような、本格黄金時代を意識した作家も増えているが)においても当然重要で、フェアネスが担保されなければ全く面白くない。そのような地道な捜査によって事件の様相が二転三転する面白さが、読者にページを捲らせる。
少し脱線するが、直前の部分では「パズル的推理を軸とする」「本格黄金時代の作品群」と、「現代海外ミステリ」を対置させている。これは、よりわかりやすく言えば「推理小説」と「捜査小説」の違いなのではないか、ということである。どちらも「ミステリ」であり「謎解き小説」であるのだが、事件解決・真相究明への道筋がやや異なるのではないかと思う。「推理小説」では、人並外れた推理力を持った探偵が、同じだけの情報を提示されても普通の発想では辿り着けない真相に「推理」で辿り着く、という物語が展開される。一方「捜査小説」では、特別な推理力はないものの卓越した捜査力を持つ主人公が、一般人では見つけ出せない事実を次々に炙り出し、トリックの解明などの飛躍的な推理を必要とすることなく必然的に真相に辿り着く、という物語が展開される。以上は世間の共通認識ではなく私の個人的な考えだが、作品ごとにぱっきりと分類できるものばかりではないにせよ、ある程度有効な分類なのではないかと思う。
話を戻して、本作。前述の認識を踏まえれば、本作はほぼ完璧な形の「捜査小説」であると言える。特別なトリックがあるわけではないが、必要な情報が出てきづらいから謎がある。その情報を、活動的な主人公が卓越した捜査力で浮き上がらせ、必然的に真相に到達する。その捜査の爆発的な面白さ。まさにスリルとサスペンスというやつである。しかし、それだけではない。最後の最後、小さなどんでん返しがある。これが巧い。帯に「どんでん返し!」と書かれるような展開ではないにせよ、このひねりが、良いスパイスとして面白さを一段上に上げている。このひねりは「操作小説」から「推理小説」にややはみ出すような要素ではあるものの、この小説を素晴らしいものにする決定打となっていると言える。
さらに、キャラクター造形も抜群である。小さな町の失踪事件がテーマゆえ重くなりがちだが、主人公ピップの明るさと正義感、ラヴィの陽気さと誠実さ、こういうキャラクター造形が本作の読み味を爽やかにしている。
シリーズ続篇が昨年、今年と刊行済み。続けて読みたい。