2023年11月11日 バッファロー’66
ポッキー&プリッツの日ですね。どちらも食べていませんが。ポッキーとかプリッツよりトッポの方が好きなんだよな。
何日か前、『レオン』を観た。素直に面白い。主人公二人のヴィジュアルが
もはやシンボルになっているのがすごい。かっこいいもんね。ゲイリー・オールドマンがヴィランとして魅力的すぎるところとか、ナタリー・ポートマンの12歳らしからぬ色気と演技力とか、ジャン・レノの可愛さとかっこよさとか。それから、あの観葉植物とかの小道具の使い方。ああいう工夫が物語を豊かにするよね。まあ、12歳にああいう役をさせるのは、ダメではないのかもしれないけど配慮は要るよね、と思う。後々のキャリアに影響を及ぼしかねないから。年齢は関係ないけど、『氷の微笑』のシャロン・ストーンとかもね。それから、リュック・ベッソンの映画はこれが初めてだけど、他はどんなのを撮ってるのか気になった。「恐るべき子供たち」で言えばジャン=ジャック・べネックスの『ディーバ』の方が好きだったから。あちらの方がフランス的な良さがあった気がする。『レオン』は良くも悪くもアメリカっぽい。アメリカが舞台だしアメリカ人が出てるからそりゃそうなんだけど。レオス・カラックスは観てません。観たい。
その日の夜は友達とウォッチパーティで『探偵マリコの生涯で一番悲惨な一日』を観た。何がしたいのかあんまりわかんなかった。シリアスとコメディを反復横跳びするのはまだいいとして、その接続が上手くないので観るときのテンションがわかんなかった。あとストーリーそのものもあんまり面白くなかった。キャストがもったいない感があった。みんなで「うーん…」と言ってしまった。
今日は『バッファロー’66』を観た。ちょっと前まで存在も知らなかった映画だけど、観た後は、ありがとうFilmarks!という感じ。簡単に言えば、無関心な母と強権的な父のもとで育ち、自分の居場所を見つけられず(たぶん安心できる唯一の場所がトイレ。人に見られることを過剰に嫌がる)、親にめっちゃ嘘をついて(安心させたいのか、自尊心を保ちたいのか、後者がデカそうだけど、多分どっちも)、偶然出会った女性レイラを脅して妻のふりをさせる、主人公ビリー。だんだん主人公のことを愛し始めるレイラ。ストーリーだけなら、病んだ童貞に都合のいい話に見える。でも、ビリーの善性がこれ見よがしでなく描かれるから、割と説得力がある。以下、ネタバレあり。
ビリーの人物像について。彼は幼い頃からウェンディという女の子に恋をしていた。でもウェンディに自尊心を損なわれた。これで、逆に自尊心を少しでも損なわれることに過剰に敏感になり、親に嘘をついて見栄を張り、人に見られることを過剰に嫌がるようになったのではないか。母親からはあまり親子関係としての関心を向けられず、父親は強権的で突然怒り出すタイプ。この家庭環境も彼を内に閉じ籠らせた。安心できる居場所はトイレ(Bathroom)。だから、刑務所を出てすぐトイレを借りに刑務所に戻ろうとするし、街でトイレを探し回るし、デニーズのトイレで泣く。だから、たまたま入ったダンス教室のトイレで隣の男に覗き込まれて怒り狂うし、モーテルの風呂に入ってるときにレイラを部屋に入れたがらない。序盤でトイレが見つからないのは居場所がないことの象徴かもしれない。レイラを車に乗せて初めて、路肩の木の陰で立ちションすることができるのは、居場所ができることの予告なのかも。そんな彼にも、友達がいる。刑務所に入る前に仲良くしていたグーンと、ボウリング場のソニー。グーンはビリーがこれからしようとする犯罪を止めようとするし、ソニーはビリーが服役している間ボウリング場の会費を払ってあげていた。会話の感じから、二人はビリーの不安定さを重々承知なのではないかと思う。でも、ビリーは恩知らずにも辛く当たったりする。不安定なのですぐに謝ったりもする。ビリーがこれからしようとしている犯罪というのは、彼が無実の罪で刑務所に入るきっかけになったフットボールの試合でキックを外した選手スコット・ウッズを殺すこと。ビリーは刑務所の奴から彼が不正していたと聞いたと言ったが、本当かどうかわからない。陰謀論を真に受けたインセルの暴走、という感じがする。でも、レイラに愛され、「あなたは世界一優しい人よ」と言われることで、踏みとどまる。レイラはビリーの苦悩を見抜いている。ビリーは自分が死んだ後の墓参りで両親が最悪な会話をしている想像をしたりもする。家族の呪いから解放され、自分を愛してくれる女性の隣に居場所を見つける。女性によって自尊心を損なわれ、毒親家庭で居場所をなくし、経済的にも追い込まれたまさにインセルが、陰謀論的想像力で暴走しそうになるが、その背景を見通して、母のように愛してくれる女性に出会って、思いとどまる。結末自体は都合がいいかもしれないが、現代にも通じるテーマだと思う。だから、Filmarksありがとう!なのだ。
アメリカのインセルと日本のインセルは違うが、それにしても、現代のインセルや「弱者男性」と呼ばれる人々がこの映画を観たら、どう思うのか、聞いてみたいとも思う。着地が現代的じゃないから、より良くはならない気がするけど。
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