2023年8月3日 「『バニシング・ポイント』とミスド」

朝から映画館。ここ数日は映画ばかり見ている。

『バニシング・ポイント』。アメリカン・ニューシネマを代表する傑作。陸送業者のコワルスキーはデンバーを出発してサンフランシスコを目指す。賭けのために警察の検問すら無視して大急ぎでシスコへ向かう。警察に追われるコワルスキー。ラジオDJスーパー・ソウルに支持されるコワルスキー。色々な人々に助けられるコワルスキー。コワルスキーがかつてベトナム戦争に従軍していたこと、そこで負傷したこと、恋人が海で死んだこと、レーサーだったことがわかってくる。そして最後、ブルドーザーのバリケードに突っ込んで爆発する。

コワルスキーは自らの消失点に向かって突っ込んだ。スーパー・ソウルや助けてくれた若者のように、権力に対抗するようなものとは少し違う。ただ権力から、システムから逃げ、スピードと共に消失した。

いい映画だった。

ミスドに行った。子どもの頃、本屋にくっついていたミスドによく連れて行ってもらった。ドーナツはたまのご褒美だった。あのわくわく感は、今となってはもう失われた。でも突然それを思い出してミスドに行った。ポンデリングとオールドファッションハニーと生フレンチクルーラーを食べた。胃もたれしてしまった。子どもの頃のようにはいかない。ダメだ。もうミスドは楽しいだけのものではないのかもしれない。

子どもの頃通ったミスドの近くにある高校に入学した。いい感じになった女の子と一緒に勉強したり、それを友達に見られたり、女の子と一緒にいる友達を見かけたり、友達と駄弁ったり、一人で本を読んだり。素敵な場所だった。みんなが集まる場所だった。学校帰りに通った。でも今では、そんなに無邪気ではいられない。歳をとると、なんでも深刻だ。何でも深刻になりやがって。楽しくもない。

半端に一人で行動できるようになっちまった。「一人の方が楽」とか「一人の方が好き」なんて、そりゃたまに思うけどさ、嘘だよそんなの。ほんとはみんなと遊びたいんだよ高校のときみたいに。もうあんなに楽しい日々なんて来ない!

あの頃は高校の周りが世界だった。都会に出るだけで、ものすごいわくわくに襲われた。人酔いだって楽しかった。

今、その感覚を、ふとした瞬間に思い出しては、すぐに忘れて、「あ、今触れそうだったのに、どこに行ったんだ!」と泣きそうになる。本当に触覚的な感覚なのだ。

この先いくら楽しいことがあったって高校の頃に戻れないというだけでもう全部ダメだ、という気分になる。

うううううう。大人など糞食らえだ。

夜中は感情がめちゃくちゃになる。明日になってこの文章を見返して死にたくなるだろう。それもいい。少しくらい記録しておかないと、私のこういう感情が報われないだろうから。


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