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向日葵畑を見に(短編小説)

「北海道にさ、それはもう綺麗な向日葵畑があるんだよ。空港の近くにあるからさ、飛行機の中からも見えるんだ。いつか見てみたいよなあ。」

泥水だらけの制服とは裏腹の、キラキラとした瞳で彼はそう言った。私はタオルで体を拭きながら、ずっとその瞳を見ていた。

どこの学校にもいじめというものはあり、不幸にも私はそのターゲットだった。とはいえ、元来他者と関わってこなかった事もあり、多少の痛みを我慢すればいいかなという思考で、あまりシリアスには捉えていなかった。どうやら、この姿勢が逆にいじめっ子の怒りを買ったらしい。下校途中、電柱の影からバッと飛び出てきたいじめっ子は、バケツいっぱいの泥水を浴びせて逃げた。残されたのは、空になったバケツと、私と、運悪く巻き込まれた彼だった。彼の名前は知らなかったが、見たことはあるので同じ学校の生徒である事は間違いなかった。

私たちはスーパーの駐車場の隅で、体を拭きあった。その時、なんとなく流れで自己紹介をする事になった。彼の名前は志賀というらしく、同級生だった。雑談の中で、夏休みはどうするかという話になり、向日葵畑に行く夢を聞かされた。その目は純粋で、汚れが光に反射してるせいもあって、輝いて見えた。いいなあ、そこまでやりたいと思う事があって。同じ泥水をあびているのに、自分の制服だけひどく汚れているように感じた。

志賀と別れて家に帰った後、暇になったので向日葵畑について調べた。しかし、黄色いなと思うだけで、心は動かなかった。ああ、まただ。また何も好きになれない。

他者と関わらなかったのも、これが原因だ。他の人がいいよねと言っているものを、好きになれない。心が1ミリも動かない。じゃあ自分の好きなものは聞かれたら、無いとしか言えない。家でもする事がないので、なんとなくネットサーフィンをしたり、テレビを垂れ流したりしている。好きではないので、内容はすぐに忘れてしまう。考えすぎている気がして、ベットに寝転ぶ。けれど、考える事を止める事は出来なかった。

別にその生き方が嫌いではない。けれども、世間はそう受け取ってくれない。心が壊れている人のような扱いを受け、ああそうなのかもしれないと感じた。それに疲れて、人というものを遮断した。楽にはなった。けれども、人としてこれでいいのか?と思う自分もいる。何より、別に楽しくはないのだ。

彼のような個性が羨ましい。個性的であれ、という押し付けられた個性ではないように見えた。面接で言うための、作られた個性ではないもの。瞳を見れば分かる。宝石が埋め込まれているようだった。彼はいつか向日葵畑に行き、心の底から黄色い絨毯を楽しむのだろう。その時、自分はきっと相も変わらずこうやってベットで寝転んでいるのだろう。

虚しさに押しつぶされながら、気がつけば眠っていた。その虚しさがこびりついたまま、学校へ行く。登校中、志賀が話しかけてきた。

「あの、昨日は大丈夫だった?」

「うん、別になんともなかったよ。」

「そういえばさ、昨日俺ばっかり向日葵畑の話してさ、牧さんの話聞いてなかっな。何が好きなの?」

「…特にないかな。」

「あ、そうなんだ。うーん、じゃあ俺、もっと向日葵畑の話していい?」

「…構わないけど。」

そして彼はまた、向日葵畑の話を始めた。別に、面白くはなかったが、まあたまにはこういう事があってもいいかもしれない。それに、個性がないという事は、他人のどんな個性も受け止められるのだ。よく考えたら、向日葵畑が好きってよく分からない。けどまあ、私なら受け止められる。それこそが個性という事に、とりあえず今はしておこう。

こびりついた虚しさは、朝の風に吹き飛ばされてしまった。

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