見出し画像

[ひとことお題]#4 お風呂

ふろ【風呂】
入浴のために設けた場所。湯殿。浴室。また、ゆぶね。
              広辞苑より

私にとってお風呂の時間は癒される空間でありながら、苦痛にもなりかねない場所であり、一辺倒に「好き」ということができない。

一日の終わり、暖かい湯船に入る瞬間は好きだ。
足からゆっくり湯に入り、全身を浸けた時のあの感覚を私はうまく表現ができない。
あのぞわっとするあの感覚は、筋肉がほぐれていく感覚なのだろうか。
よく「あぁ~っ」と出てしまうあれだ。

湯船の中で身体を暖めながら「気持ちいいな」とかその時の感覚に浸る。
この幸せな時間をそのまま過ごせればいいのだろうが、だんだんと頭は暇になっていくので、その日一日のことやこれからのことをぼんやりと考え始めてしまう。
あれが楽しかったな、こうしてもらえたの嬉しかったから自分もそうしてみようとプラスなことを考えているうちはいい。
いつだってそんな風に考えられたらいいのだが、そうじゃないことだってある。
あれができなかった、もっとこうしたらよかったなどと反省会になることも多い。

そうじゃなくてもフラッシュバックのように過去の失敗が頭の中によみがえってしまうことがある。その際出来事を思い出すだけでなく、悲しい悔しいなど負の感情も再現される。
これは湯船に浸かっている時間よりは、髪の毛を洗っている時とか身体は何かしらの作業をしている時に起こる現象だったりする。その行動が完全に流れ作業であり、頭を働かせなくていい時だ。

どこかで聞いた話だが、過去の失敗を繰り返し思い出すのは脳がその出来事からまだ学ぶことがあると思っているからだという。
そこから私は、脳でうまく処理できてないよというサインなんだろうなと思っている(イメージとしては提出した書類が審査に通らず突き返されてる感じ)。

余談だが、こういった過去の失敗を繰り返し思い出すのは自尊感情・自己肯定感が低い人によくあることらしく、それらが高いもしくはそれなりにある人間はそんな経験は多くないらしい。正直羨ましい。

これの対処法だが、私は2つ持っている。

ひとつめは感情的にならず、あえていうならおだやかな感情で受け止めることだ。
私は、過去の失敗が子どものように駄々をこねているように思うのだ。「お前は過去こんなことをした。忘れてるんじゃねえよ」と暴れているかのような。
それに対して私は「そうだね、そのときは辛かったね」となだめる。なんならその暴れている失敗を暖かく抱き締めるようなイメージをする。すこしだけよくなる。

ふたつめはその場、今の感覚に意識をもっていくことだ。
過去の感情までよみがえっているということは、その失敗した時間に頭も心もトリップしている状態ということだ。
でも実際にはもうそこにいないわけで、その状態を続けても辛いだけなので、頭も心も強制的に今に戻させるのだ。
周囲のもの、私は特に周囲の音に耳を傾ける。
そして頭の中で、時には声に出してその音を反復する。幸いシャワー中であれば音に事欠かない。湯船でなら水面を揺らしたり軽く叩いて音を作る。ザーーッ。バシャバシャ。なんなら「あーーー」と声出すだけでいい。
そうやって頭の中を音で埋め尽くす。そうすると自然と感情も剥がれ落ちる。気持ちも落ち着く。

過去の失敗は誰にでもある。でも過去だから変えられない。いくら悔やんでも思い出しても変わらないのだ。
でも繰り返し思い出すのは無意識なのでどうしようもない。
そういうときは思い出の中にいたままにならず、外から俯瞰することが大切だと思う。そうすることで気付くこともたくさんある。その失敗を処理できるようになったりする。
自分と分離させるのは難しいかもしれない。こういうことは結局繰り返しすこしずつゆっくり対処していくしかないのだと思う。

どちらとも日常生活の中でもできるものなので、同じような人は試してみてほしい。もしかしたら何か変わるかもしれないから。

お風呂の時間はいろいろ考えられて楽しいが、その分深みにもはまりやすい。
でも日々、疲れを癒してくれるのは紛れもない事実で、今日もまた過去の失敗を思い出すリスクを抱えながらも入るのだろう。

最後までお読みいただきありがとうございます! もし文章を気に入っていただけたらサポートをしていただけると嬉しいです。 サポートしてくださると「次も書くぞ」という気持ちになりながら私がぴょんぴょんと小躍りします。⸜( ˙꒳˙ )⸝←待機中