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仕事を辞める理由が「もっとゆっくり過ごしたから」ではダメですか?

先日知人から、
「今の仕事を今年度いっぱいで辞めると上司に伝えたんだ」
という連絡をもらいました。

私自身はこの話は以前から聞いていたので、着々と前に進んでいるなあくらいの感覚でいました。

ところがこの話には少し続きがありまして、

上司からは
「何か病気でもあるのか?」「子育てや介護で家庭にいなといけなくなたのか?」など、辞めるの理由の質問攻めにあったとのこと。

上司の気持ちはよくわかります。きっと心配して聞いてくれているのでしょうから、普通はありがたい話です。
ですが、知人はうまく答えられずとてもつらかったそうです。

というのも、知人仕事を辞めようと思っている理由にあります。

その理由は、タイトルにもしたのでご想像通り

「もっとゆっくり過ごしたいから」

だったからです。


先ほどの上司の質問からは、仕事を辞めるのは、自分にはどうしようもないやむを得ない事情があることの前提が伺えます。

しかし、知人の場合、自分で選んで辞めようとしているわけで、仕事を辞めるのにやむを得ない事情はありません
なので、本当のことを話してしまうと、「逃げ、怠惰、無責任」のように受け取られるのではと感じて、正直に話せなかったであろうことは容易に想像できます。


ただ自分の生き方を自分で決めただけなのに、罪悪感や自責の念につながってしまいそうで、それが心配で気がかりです。

だからこそ、この話を聞いて疑問が湧いてきました。

(先月にも、関連する内容についてを書きました↓)



仕事を辞める理由が「もっとゆっくり過ごしたから」ではダメなのか?


確かに、誰もそんなことは一言も言っていません。(言ったら一斉に叩かれるはず)
でも一方で、そんな同調圧力を多くの人が感じていることを否定できる人も、誰もいません。

もし履歴書に
・正社員を辞めた(=収入が減った)
・自分の時間が増えた(=従業員として働いていない)
みたいなことが書かれてあったとして、これをプラスに評価する社会でないことは確かです。
それが間違っているとは言いません。
辞められた会社としては痛手であることはその通りなので。


それでも、
多くの収入と社会的地位、これを手放す決断それ自体はものすごく勇気のいることで、その決断をした知人を私は賞賛したいです。


知人はこれから、お金は減るけど時間が増えることになります。
自分の時間の使い方を自分で決めていくことになります。

れまでとは違う苦労があると思いますが、個人的には全然悪くないと思います。

理由は2つ。

1、どうせ仕事を続けていてもそれはそれで苦労することになる。だったら自分で選んだ苦労の方がやりがいがあるというもの。

2、少ないお金でもそれなりに生きていくのには対して困らないいい世の中になったこと。
せっかく便利なもので溢れかえっている現代なんだから、お金が多くなくても自分の時間がたっぷりある生き方の方が、案外恩恵に与れるかも。

(このことについてはこちらもどうぞ↓)


あとは自分の時間の使い方と自分の価値観をどう合わせていくか。


知人には仕事を辞めたあとすぐまた働くことはせず、少し時間をとってぜひゆっくり考え欲しいと思っています。もちろんそのこともすでに伝えています。


話を聞かせてもらいながら、
「自分自身の時間の使い方はちゃんと自分の価値観にあった使い方になっているだろうか?」と考えさせられました。反省点がいっぱいありそうです。

知人の話を聞いているつもりでしたが、自分の方がヒントをもらった気がします。


結論

仕事を辞める理由が「もっとゆっくり過ごしたから」ではダメなのか?

・周りの賛同は得られにくいことは確か。(別にいいと思う)

・個人的には「自分で決めた」「誰のせいにもしない」と言えるなら大賛成。

・多く収入や社会的地位は、自分にとってどれほどの価値なのか?を自問してから決断するのがいいと思う。

もっとゆったり平和にすごしたい。最近思うのはもうただそれだけ。


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