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「宇宙的恐怖」の巨匠H・P・ラヴクラフト、幻想作家ロード・ダンセイニを語る

皆様、ごきげんよう。ヘヴィメタルバンドのメタリカと、日本が世界に誇るハードロックバンドの人間椅子の楽曲を通じて「クトゥルフ神話」の世界に触れている弾青娥だん せいがです。

こちらの記事で取り上げるのは、奇怪な邪神たちが登場するその「クトゥルフ神話」の成立において最も大きな役割を果たした小説家ハワード・フィリップス・ラヴクラフト(以下、ラヴクラフト)が、名状しがたいほどに大いなる影響源の一つであるアイルランドの幻想作家ロード・ダンセイニ(以下、ダンセイニ)をどう評価していたかです。

ハワード・フィリップス・ラヴクラフト(1890-1937)

ラヴクラフトは、1919年の秋にボストンで開催されたダンセイニの講演会に足を運び、その後、その作家の著作の影響が見られる作品――1919年の「白い帆船(The White Ship)」、1920年の「サルナスの滅亡(The Doom That Came to Sarnath)」、「ウルタールの猫(The Cats of Ulthar)」など――も発表しました。

ラヴクラフトは、アリス・M・ハムレット(Alice M. Hamlet)というアマチュアのジャーナリストによりダンセイニの作品を紹介されていました。そして、初めて読んだダンセイニ作品は「海を臨むポルターニーズ(Poltarnees, Beholder of Ocean)」という短編でした(参考ウェブサイト:「未谷おとのダンセイニ的日常」)。こちらは、ダンセイニによる1910年の短編集A Dreamer's Talesの冒頭を飾る作品です。その雰囲気を、河出文庫の『夢見る人の物語』から冒頭を引用することで紹介いたします。

 トルディーズ、モンダス、アリズィム、これらは内陸の国であり、その国境を守る兵たちは海を目にしたことがない。この国々の東方には沙漠が広がり、人間が足を踏み入れたことはなかった。何もかもが黄色で、ところどころに岩の影が散らばり、そこには〈死〉が、太陽のしたに寝そべる豹のようにして待っている。南の国境は魔法と、西の国境は山と、北の国境は極地の風の声と怒りに接している。西の山は巨大な壁のようである。遥か彼方から立ち上がり、ふたたび彼方へと降りて行く。その名を〈海を臨むポルターニーズ〉という。……

『夢見る人の物語』(2004年)
中野善夫(訳)「海を臨むポルターニーズ」

ラヴクラフトが魅せられたダンセイニの空想の世界の続きが気になった方は、その続きを実際の書籍にてご覧くださればと思います。(こちらの短編集でのオススメとしては、「海を臨むポルターニーズ」のほかにも、忌まわしい夢に苛まれる人物を描いた「潮が満ちては引く場所で」、富士山を含む日本の事物に言及のある短編「無為の都(The Idle City)」、ダンセイニ流の自然観が垣間見える「投票日」、人間の肉体と魂の対話を描いた「不幸な肉体」があります。)

それでは、こちらの記事の本題に入って、1890年の8月20日に誕生した「クトゥルフ神話」の生みの親と言うべき人物がアイルランドの貴族作家をどう思っていたかを、友人宛ての11通の書簡(私が抄訳したものです)を通じてお見せしたく存じます。

注:〔〕内の事項は、私が加えた注記です。

※以下で述べられる内容は、2023年5月21日(日)に開催される文学フリマ東京36にて販売される書籍「怪奇作家はダンセイニ卿を語る:ラヴクラフト書簡集」(上掲の記事をご参照ください)において、より詳らかに述べられていますので、そちらの小冊子をご確認くだされば幸いに存じます。



1.ダンセイニ作品との邂逅から間もなくして

アリス・M・ハムレットからダンセイニの著作を教えてもらったラヴクラフトは、1919年の秋(後年の書簡で10月のことだと明かしています)、ボストンのコプリー・プラザ・ホテルに友人を複数連れて向かいます。ダンセイニの講演会を聞くためでした。

ラヴクラフトはこの講演会について、早い時期から文通相手の一人だったラインハート・クライナー(Rheinhart Kleiner)宛ての1919年11月9日の書簡で詳細に語っています。

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