ロード・ダンセイニ VS. 広告メディア ~幻想作家と現実との対立~
皆様、ごきげんよう。弾青娥です。
今の生活において広告を意識的に、また無意識的に様々なところで目にすることかと思います。そうした広告には、「おっ、何か面白そうだ」と注目したり、「よく分からないことが書いてあるなあ」とだけ思って無関心であしらったりするでしょう。
ウェブ上ではトラッキングにより、特定の個人に適したコンテンツの広告が表示されるようになっています(例えば「書籍」をキーワード検索したら、それ以後に書籍関連の広告を多く見かけるような具合です)。
近頃のiPhoneのコマーシャルでは、トラッキングによって利用されるプライバシー情報の保護の大切さが訴えられ、直接的ではないものの、広告のあり方に疑問が投げかけられました。(個人的に好きなCMです。)
「おいおい、ダンセイニのダの字が出ていないじゃないか!」とお思いになった方も、そうお思いになっていない方も……お待たせいたしました。お題に入ります。
今回の記事は、ファンタジー作家の中でも屈指の存在であるロード・ダンセイニ(以下、特記ない限りダンセイニ)が、どのような姿勢で広告メディア(特に新聞、広告看板)に接していたか、を取り上げます。
それでは早速、参りましょう。
※引用した文は、訳者名を明記したものを除いて、私による和訳です。
※〔〕内の事項は私が加筆した内容です。
ダンセイニ VS. 広告メディア
ダンセイニの広告メディアに対する姿勢は幼少期から明確に決まっていました。それは、否定的なものです。はじめに、新聞に対する姿勢から見ていきます。
VS. 新聞
新聞に対して否定的な接し方になった契機については、作家のフランク・ハリスの手紙に対して書いた返事のなかで触れられています。ダンセイニは自らの特徴的な文体の由来に触れつつ、自らの新聞との関わり方を語っています。1912年11月3日付の書簡です。
この手紙から、母の教育方針によりダンセイニが幼少期から新聞を読まないようになったということが分かります。そのスタンスは晩年になっても貫かれました。それが確かめられる例は、ヘーゼル・リトルフィールド・スミス著のLord Dunsany: King of Dreamsにあります。
亡くなる4年前の1953年にアメリカ西海岸のカリフォルニア州を訪れたダンセイニのことをつまびらかに記録した本書には、著者による的確な分析も交えて、ダンセイニの新聞に対する見方が記されています。
このように、晩年に入っても新聞に対するダンセイニの見方が変わっていないことが認められます。また、世の煩わしさを感じさせる記事に接しないライフスタイルが、ダンセイニの幻想的な物語創造の支えになっているのを示してもいます。
新聞に目を通さないとはいえ、上掲の引用にあるように、ダンセイニはしっかりと政治のことに通じていました。その理由のひとつには、切り抜き記事を送ってもらうことがありました。そのことも含む、ヘーゼル・リトルフィールド・スミスの文をここに紹介します。
とんでもない誤報を載せた新聞に対して、ダンセイニは怒りを見せたものの、はっきりとした罵詈雑言を浴びせようとしなかったのは貴族の品格がなせるものだったのでしょうか。
VS. 広告看板
そして、ダンセイニは新聞のみならず、広告(看板)への嫌悪もはっきり示しています。これにまつわるエピソードも、1953年のアメリカ西海岸旅行の際に起きています。
広告を嫌うわけは引用内で「人間の思考を最も低い水準へと引きずる」と語られていますが、1918年にボストンの出版社から発表されたダンセイニの著書Nowadaysには、似たような見解および理由が確認されます。
広告にまつわる話は、ダンセイニが1915年に出版した『五十一話集』と、1944年に著した2冊目の自伝While The Sirens Sleptでも認められます。
『五十一話集』所収の短編「成れの果て(What We Have Come to)」は、丘陵の彼方にそびえる聖堂の尖塔群を見た広告屋の嘆きを記しています。
ダンセイニはこの話で皮肉をこめて、広告屋の賤しい野望を書いています。日本で例えるなら、京都の東寺、奈良の興福寺の五重塔に広告板やアドバルーンを設置されるようなことでしょうか(このようなことが起こってしまったら、たまったものではありません)。伝統的な建造物の価値や威厳を台無しにする広告屋の企みの描写から、広告を忌避するダンセイニの姿勢が見えてきます。
さて、もうひとつの例である、ダンセイニの2冊目の自伝While The Sirens Sleptにおいて、注目したい内容は次の通りです。
以上の記録は、ダンセイニ自身が1929年に旅したインドを回想したものです。西部の大都市であるボンベイ(ムンバイ)に着いてから間もない頃のことですが、ダンセイニの広告に対する疑問が場所を問わずに炸裂しているのが分かりますし、短編の「成れの果て」に似た広告批判の精神が見えます。
最後に
日本に暮らす者からすれば、ニューヨークのタイムズスクエアのビルボード群は、一度は見てみたい圧巻の景色です。しかし、もしもこの現代にダンセイニが蘇ったとすれば、上記で説明したように広告メディアを好まぬ貴族はこの広告群をその目に1秒の刹那でも収めるのを拒むでしょう。現代の東京、横浜、名古屋、大阪、福岡などの都市の光景も、ダンセイニを簡単に幻滅させるでしょう。
ダンセイニは、小説家ジョージ・メレディスの『エゴイスト』の序文でその著者を「画家にたとえるならば、突如として西方を向きわれわれの機械に倣って自らの指をその一つに引っかけてしまうまで鳥、花、虫、山や海の大変近くに暮らした芸術家のうちに数えられる、日本の画家にたとえよう」と述べるように、明治時代の文明開化前の日本、つまり葛飾北斎や歌川広重といった画家が活躍した江戸時代までの日本が好ましく映ったようです。
ゆえに、伝統的な雰囲気を残す京都、奈良、日光、川越、白川郷、倉敷美観地区のようなところは、全体的にとはいかなくとも、ダンセイニに不満をもたらさない場所であると言えそうです。(ダンセイニは生前、日本を訪れることはありませんでしたが、19世紀末、または20世紀初頭に日本へ足を運んでいれば、ダンセイニも日本を楽しむことができたでしょう。)
こちらの記事が、ダンセイニの人となりを深く知る一助となれば幸いです。また、日常にあふれる広告に対する考えをちょっと改めてみるきっかけにもなれば、筆者としては嬉しい限りです。
最後まで読んで下さった方々に御礼を申し上げます。ありがとうございます。
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