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アニメぼくらの七日間戦争を見た結果

あんたも懐かしいコンテンツのリメイクを眺めたりするかい?

なんかよくわからない動機だったんだけれど、なんとなく映画を見てみたいなあって思って探していたんだよ。

そしたらこんな映画が引っかかってきたんだ。

いやいやいや、懐かしすぎるだろ。

宮沢りえが白鳥麗子だった頃の話だよな。
#つたわれ

で、見てみたら全然俺が知っている内容とは違うものだった。

なんつーんだ?
今の若者が抱えている悩みにフォーカスし直している感じ?

今回はこの新しい「ぼくらの7日間戦争」を見たオッサンが感想を垂れ流す回だ。

ちっと、今の子どもたちの感覚ってのを想像してみようぜ。

大人という悪者

見て思った最大の印象が「抵抗する対象」ってやつだった。

もともとのぼくらの七日間戦争で描かれていたのは「悪い大人を懲らしめる子ども」って構図だったと思うんだ。

いつの時代でもそうだと思うんだけれども、子どもにとって大人ってのは自分のやりたいことを妨げる障害そのものなんだよな。

自ら経済力という力を持つことを法律的にも世間的にも制限されている子どもにとってお金というイージスの盾を持っている大人と戦うことは本質的に無理があるって思うのが普通だと思う。

その上で「嫌だ」ってことを子どもがどう表現できるのかってのがこの作品のテーマだと思うんだよな。

宮沢りえさん主演の映画では、アニメ版のぼくらの七日間戦争に比べてわかりやすく大人が悪者になっていたと思うんだ。
校則。それに基づいた暴力。

実にわかりやすく大人ってのが悪者になっていたわけだ。

世間という悪者

ところがだよ。

アニメとして作り直されたぼくらの七日間戦争を見てみて思ったのが、悪者が変わっているってことだったんだ。

もちろん悪いように見える大人もいる。
そして、それと同時に大人に従わされる大人も表現されているし、大人に反撃する大人も表現されている。

そして俺がこのアニメ版のぼくらの七日間戦争で一番悪者にされているのって「世間」だと思ったんだ。

ぶっちゃけだよ。
この主人公を始めとした仲間たちに一番でっかいダメージを与えたのってSNSなんだよな。

物理的に攻撃をかけてくる大人たちは正直厳しい。
ただ、その攻撃に対しては対応する手段ってやつを歴史が教えてくれる。

この歴史ではこう対応した。
この歴史では対応しきれなかったからこうなった。

でも今の世間は?

歴史上でこれだけの多くのヒトが誰かを責め立てる世界ってのは存在していなかった。

これさぁ。
世論っていうリヴァイアサンとヒトが初めて相対しているって現実を表現しているんじゃないか?

守るは幸せを求めたのか

じゃあ、悪者である大人と世論と喧嘩していくのが正解なのか?

っていうか、大人でもあり世論の一部でもある俺たちはどうすれば良いのか?

例えばアニメ版のぼくらの七日間戦争の主人公の守はどうすれば幸せになれたんだ?

たぶん物語としては守は最善手を打ち続けていたと思う。
結果としてタイの少女マレットを両親と引き合わせる事ができたし、仲間たちのわだかまりも解きほぐすことができたと思う。

でもさ。
守自身はどうなんだ?

想いを寄せていた綾はLGBTQの壁が隔たっていて、自分に思いを寄せてくれたマレットはおそらくいろいろな障壁で会うこともままならないだろう。

そう考えるとだよ。
守自身の幸せに守の活動はつながっていなかったってことなんだよな。

悲しすぎないか?

守が守ったもの

じゃあ、守はその悲しさの向こうに何を求めていたんだ?

守りたかったんじゃないのか?

目の前にある理不尽にさらされているやつらを。

その理不尽を感じながらもなぜだかその理不尽に従わないとならないと思っている奴らを。

だから自ら自己開示率を高めることで各々が感じている理不尽を吐き出させて、お互いの信頼感を作り上げるってことをしたんだよな。きっと。

ならさ。
俺たちはそんな風に自分をさらけ出す勇気を持っているんだっけ?

少なくとも俺はそんな勇気を持ててない。
たぶん、「それっぽくなんとかするヒトですよ~」ってポーズを決めてると思う。

そうか。
大人が理不尽を語るのにはものすごい力がいるってことなのか。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちが理不尽をはねのけるために必要なものを手に入れるためにやるべきことってのはなんだろうな?

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