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悲しみが生み出す負のスパイラル
あんたも木村響子さんの裁判のニュースを見たかい。
そう。あの木村花さんのお母さんだ。
このニュースに対して、色んなやつが色んな発信をしている。
木村花さんへ誹謗中傷したヒトは許せない、だの
木村花さんへ誹謗中傷したヒトだけではなくて放映したテレビ局にも責任がある、だの
そもそも木村花さんはヒールなんだから、誹謗中傷が来ることを想定できてなかったのか、だの。
俺の場合は、木村響子さんが置かれている立場ってやつがたまらなく悲しいって感じたんだよ。
今回はこの木村響子さんの置かれている状況ってやつを想像してみる回だ。
あんたが同じ立場に置かれたら、どんな反応をするのがあんたにとっての幸せにつながるのか。
ちっと一緒に考えてみようぜ。
木村花さんの事件を振り返る
木村花さんについては以前、こんなnoteを書いてみている。
フジテレビの番組であるテラスハウスに出演していた木村花さん。
その番組内での木村花さんの発言や行動に対して誹謗中傷がSNSで吹き荒れたって事件だ。
この木村花さんの番組内での発言や行動が番組で演出されたものじゃないかってことも含めて様々な憶測が発信されている状況だ。
で、問題視されているのが木村花さんに対して匿名のSNSで誹謗中傷をしていたヒトが多数いて、その発信そのものが持つ攻撃性だ。
確かに木村花さんを自死に追い込んだものではある。そのことはものすごく問題として根深い。
誹謗中傷を木村花さんの死後にも続けていたってことに対する裁判。
木村響子さんが起こしているこの裁判に出廷すらしないという被告人の行動は非常に大きな闇を感じちまう。
その上で思うんだ。
木村響子さんはこの感情の嵐が渦巻く世界から逃れることが出来ないものだろうかってさ。
木村響子さんを捕らえているもの
木村響子さんが起こした裁判。
なぜこの裁判を起こしたのかって想像すると、シンプルに理由は一つしか想像できない。
つまり、木村花さんへの愛情だよな。
それそのものは、本当に美しい。
でも、その愛情が裁判っていう究極の戦場に木村響子さんをとどめているってのは、何たる皮肉なんだろう。
本来、木村花さんにも木村響子さんにも幸せを与えるはずの愛情が木村響子さんを悲しみのどん底にとどめ続けているって意味じゃないか。
誹謗中傷に対応する
誹謗中傷をすることは良くない。
批判ではなく誹謗中傷ね。
批判はその理由を感情の外におけると思うんだけれども、誹謗中傷は感情から出てくるものだと思うんだ。
感情が起きてしまうことは、ヒトという生き物には制御出来ない。
それは大前提だけれども、その感情を表現する方法は選ぶことが出来る。
だからこそ誹謗中傷という「攻撃」に俺たちは嫌悪感を抱くし、それをしたヒトを糾弾したくなる。
でもその嫌悪感を表現する方法をよく考えないと、俺たちもまた感情に対して「攻撃」という表現をとってしまうことになる。
嫌悪が嫌悪を生み続ける負のスパイラルの出来上がりだ。
木村響子さんはこの只中で苦しみ続けているように見えるんだ。
木村響子さんはこの件について何も罪はない。
でも苦しみ続けている。
そして、その苦しみってのは、簡単に俺たちにも起きうる苦しみだ。
どうやればこの苦しみから逃れることが出来るんだろう?
木村響子さんの苦しみの原因であった、木村花さんの苦しみを解決する方法があったのかって話だ。
戦うか。
逃げるか。
無視するか。
木村花さんにとっては、そのいずれも自分らしくはないと思ってしまったんだろう。
だってそりゃそうだ。どれも正しいし、どれも正しくない。
完全に正解なんてものがないからこそ、誹謗中傷に対してヒトは様々な反応をしながら生きていくしか無い。
完全に誹謗中傷の苦痛から逃れる術なんて、きっとこの世の中には存在していないと思うんだよ。
多分出来るのは、苦しみを発散することだけ。
木村花さんがお亡くなりになった後にも続いた誹謗中傷。
それによって苦しむ木村響子さん。
その苦しみへのもがきとしての裁判。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちはこの苦しみの連鎖を断ち切る手段を持ち得るんだろうか?