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モテることと理解されること

あんたにとって、ヒトを好きになるってどういう状態なんだろう?

俺がワカゾーの頃はふつーにワカゾーしてたので、女の子とイチャイチャして~って思いながら過ごしていたと思う。

ところが、俺の過ごす環境は全然異性がいない工学系。

そもそもモテるってどういう状況なのかはファンタジーの世界にしかなかったと思う。

モテるかどうかよりも、今日の学食で何食うかのほうが俺の中でメインテーゼだった学生時代。

っていうか、誰かに好きになって欲しいという思いはあったとは思うけれど、よく考えてみたら「モテたい」って思ったことって今までなかったかもしれない。

いや、そもそもモテるって状態を自分に当てはめて考えたことも無いかもしれない。

いやいやいや、モテるってなんだべ?

今回はモテるって状態について考えてみる回だ。

まあ、モテたことのないオッサンの話に付き合ってくれよな。

モテるは男性の状態らしい

今回オッサンがモテるなんてキーワードを考える切っ掛けをもらった記事がある。

なかなかに刺激的なタイトルだ。

そして内容。

口が臭くない、体臭がない、爪を伸ばさない、1ヶ月に1回は美容室に行く、のは当たり前。そして、ひっそりと気配を消し、視界に入らないでください。お酌をして欲しいときにだけ呼んでください。そしてギャラをうんとください。

おおう、実に厳しい。

でも、まあそうだよな。
まず、俺みたいなオッサンに魅力が無いってのは前提として、そもそも生き延びるために売上を求めるってのは資本主義で生きているわけだから大前提なわけだ。

その上で、いわゆる水商売という職業では「魅力」というのは商売道具なわけで。

しかもその魅力ってのは時間制限がある要素があるんだと思う。

そしたら、その時間制限の中でできる限りの売上を上げるって発想はごくごく自然な発想だ。

そこでふと考える。

あれ?なんでワカゾーの俺は「誰かに好かれたい」なんて思ったんだ?

自分が理解されないということ

ワカゾーの頃の俺は、多分自分自身を理解するヒトなんてのは世の中に存在しないと思ってたと思う。

なので、当然ホストのような魅力を商売道具にするような経済活動もしてなかった。ってかデキッコナイスじゃん。

そして、頭のいいヤツとかキレイなヤツは俺に興味をもつはずがないと心の底から思っていた。

ってか本質的には今だってそこには変化はないだろう。

変わったことと言えば俺自身がその価値観に対して「そらそうだよな」って心から思うようになったことくらいかな。

理解されないってんじゃないんだよ。

理解される方法がわからねーって話なんだよな。

ぶっちゃけ、オッサンになろうとも、誰にでも理解されるなんてことはありえねー。
そらそうだろ。だれにでも通じる万能薬みたいな言葉なんて誰だって持ってないんだからさ。

そして、そもそも自分の感覚を全部言語化できるなんてやつは見たことも聞いたこともない。

その意味ではワカゾーの頃の俺の認識は合ってたんだと思う。

ただ、一点。

誰にも理解されないなんて思い込みを除いては。

モテることと理解されること

でもちょっと考える。

異性にモテるってことと理解されるってことって別なんだろうな。きっと。

妻と結婚できたことも、俺を理解してもらったからってわけじゃないと思うし、好きって感覚と理解って感覚って別もんだもんな。

で、考え直す。

俺はモテたいのか?
俺は理解されたいのか?

今の俺は間違いなく言える。「理解されたい」と。

じゃあ、ワカゾーの俺はどうだったのか?

一生懸命思い出そうとしたけれど、やっぱ理解の方がモテるよりも価値がでかい気がするんだよ。

モテるってのは複数の異性から好意を持ってもらえるってことじゃんか。
想像するに、その状態を俺ごときは対応できる気がしないんだよな。

ある程度の人生経験を積んだ状態の俺ですらそうなんだから、ワカゾーの俺はそんな臨機応変スキルを持っているはずはないんだよ。

そしたら、俺を好きと言ってくれたヒトを不幸に導くことしかできなかったはずだ。
そんなの、良いはずないじゃんか。

なあ、あんたはどう思う?

多くの人から自分を好きになってもらうことと、誰か一人から好きになってもらうことと、どういう価値の差を感じる?

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