自分を褒められる行動
あんたは自分で自分を褒めるってことを意識的に出来ているかい?
何気にこの「自分を褒める」って行為は難易度が高いもんだよな。
なんでだって?
あんたは自分の「立派だ」って思うところを10個書いたんさいよって言われて、その書いたことが誰にも見られない前提で構わないから書いてみる自信があるかい?
俺もちょっと考えてみた。
ビックリするくらいにないんだよ。
そりゃー、オッサンとして生きている限りは世の中に何らかの価値を提供していかないと生きていけない。
だから、俺自身に価値がまったくないと言うことは出来ない。
でも同時に俺自身の価値を誰でもわかるように説明しないさいよってのにも答えられない。
今回は自分の価値ってものが自分にとって何者なのかってことを考えてみようって回だ。
まあ、オッサンの自分探しみたいなキモチワルイことにたまには付き合ってくれよな。
自分を褒められるところを考える
今回、この事を考えさせてくれたのがこのラジオだ。
ちょいちょい取り上げさせてもらっている由理さんの音声配信だ。
由理さんの音声配信はホント、なんつーか文章としてのわかりやすさを踏襲しつつ、声のトーンで「あれ?俺はどうなんだっけ?」って考えさせる力を持っている。
多分だけれども、このことが文章でブログに上がっていてもダメなんだ。
あの声のトーンが力なんだろうなぁ。
俺には出来ない芸当だなぁ。
もちろん声をプロとして配信しているわけじゃないので、演技力とかそう言う技術に裏打ちされたものじゃないと思うんだ。
その上で、あのトーンが俺に感じさせるものが確実にあると思うんだ。
まあ、聞いてみてくれよ。
自分を褒められる要素
でだ。
由理さんが自分の褒められることを10個書いてって言われて2個しか書けなかったって話を今回してくれているんだ。
で、ビックリするくらいに書けないって話をしてくれている。
これってよ?
俺もそうだ!って思うやつ、結構いるんじゃね?
俺も試してみたけれども、2個どころか1個書くのも怪しい。
俺の褒められる要素。
・世の中を斜め下から眺めたことを文章にできる
……えっとそれ褒めていいんですっけ?
いや、言い方一つで褒め言葉に出来るってのはあると思うよ。
でも、それを自分自身が納得できるような感覚まで昇華できる言葉を俺は持ち合わせていないと感じるわけだ。
他人から褒められるってこと
そこで、ふと考える。
自分に出来ないなら、他のヒトには俺を褒めることは出来るんだろうか?
確かに、俺は星の数ほどの失敗を繰り返しているし、自分の怠惰が誰かに迷惑をかけることもある。
なので誰かに「怒られる」ことは、もぉ息をするように自然に思いつく。
○○をしなかったのはなぜか?
○○を出来なかったのはなぜか?
そんな「怒られる」ことは俺たちにとって日常茶飯事だったよな。
ところが、オッサンになってみてこの「怒られる」ってことがめちゃくちゃ減っていることに気がつく。
同じ様に失敗したり、怠惰で誰かに迷惑をかけているにも関わらずにだ。
あれ?俺はそれなりのことが出来るヒトになれたのか?
多分違う。
誰も俺に期待しなくなったってことの裏返しなんだと経験上思うんだよ。
怒られることと自分を褒めること
怒られることが少なくなったことがどういうことなのか?
きっとだけれども「迷惑が見えにくい状況を作るのが得意になった」ってことなのかもしれない。
要するに、オッサンになることで得た経験を使って、俺は誰かに迷惑をかけていないポーズを取ることが得意になったってことなんだろう。
でも、そうじゃないべ。
俺たちは「怒られたくない」んじゃない。
自分で自分を「褒めたい」んだ。
10年前の自分に「おめぇすげぇな!」と孫悟空の感じで言ってもらえる自分になりたいんだ。
10年後の自分に「あなたは頑張りましたよ」と煉獄母のように言われたいんだ。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちはどうやったら、俺たちの満足する自分を手に入れられるんだろうか?
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