
やせ我慢
カランコロン
またドアベルが鳴る。
「おう、タカ。なんか久しぶりだな」
「ちっと今抱えてる案件が難儀なやつでさ。息抜きも必要だと思ってさ」
タカは探偵業。
つまりはヒトの闇ってやつに手を突っ込む仕事だ。
しんどくないわけがない。
「そちらの方々は?」
「三田と申します。田中の上司……いや、元上司です」
「渡辺です。田中さんに色々フォローしてもらってます」
タカが俺を見てニヤリとする。
「忙しそうだな」
「まあ、まだ仕事として成立してないけどな」
「スタートアップなんてそんなもんだろうよ」
「まあな」
タカが言う。
「ママ、今日はワインの気分だな。こないだのボルドーを」
「はい」
いつもどおりのアルカイックスマイルでママが応える。
啓二が言う。
「ここにはどのくらいのお客さんが来るんですか?」
「そうねぇ。だいたい50人くらいかしら」
「その一人ひとりの好みとかを把握してるんです?」
「まあ、なんとなくね」
なんとなくどころじゃない。
ママは全員の好みを把握して、表情を見て、端的に言葉をかける。
それでなきゃ、俺もタカもトムも三田さんもここに入り浸ることは無いだろう。
「ママには感謝しているよ」
「どういたしまして」
そんなやり取りが自然に行われた。
三田さん
「仕事の話はあらかた健一がしちまったらしいから、プライベートではどうなんだ?啓二」
「どうと言われても……」
「彼女とか出来たのか?」
「そんな暇ないっすよ」
なんつーのか、三田さん。
それじゃあ絵に書いたオッサンそのものっすよ。
「まあ、彼女がどうのは良いとして、何か趣味とか持ててるのかい?」
俺がそう聞いた。
「趣味っすか……。散歩っすかね」
おじいさんか、オマイは。
「なんかジジむせぇな」
三田さんが言った。
「三田さんに言われたら、間違いないな」
俺も言った。
「ぐぅ、イジメだ。パワハラだ」
啓二が言った。
「散歩もバカにしたもんじゃないんすよ。
川沿いを歩けば、風に乗って草木の香を楽しめるし、子どもたちの笑い声も聞こえる。
自然とヒトを両方感じられるんすよ」
「なるほどねぇ。それを仕事にフィードバック出来れば良いわけだな」
三田さんが皮肉たっぷりに言う。
「うう、善処します」
「あんまりイジメんでやってくださいよ」
「ま、そうだな」
タカ
「なんか大変そうだなぁ」
「見事なまでに他人事だな」
「だって他人事だもん」
まあ、そうなんだけれどな。
「でも、渡辺さんよ。いやここでは啓二さんっつったほうが良いのか。
もうちっと『やわらかく』考えたほうが良いかもしれないぜ」
「やわらかく?」
「例えば、田中さんに遠慮してないか?」
「遠慮……」
「自分の考え方と田中さんの意見が違ったときに『自分が何か間違ってる』って思っちまってないか?」
少し啓二は考える。
「そうかも知れません」
「それだ」
タカは断言した。
俺もそう思った。
「意見が違うなら何が必要だと思う?」
「会話……ですか」
「そう。それだ。田中さんとだけじゃない。三田さんとも他のメンバーとも会話を日常的にする。
別に内容は仕事に関することだけじゃなくて良い。
昨日見たドラマの話でも、最近読んだ本の話でもなんでも良い」
まったく、俺の言いたいこと全部言っちまった。
「そうすることで仕事のパフォーマンスが劇的に上がる。
これは俺の経験則だけどね」
タカはいつものように破顔して言った。
「それと同時に啓二には覚悟をしてもらわんといけない」
俺が付け加えるように話した。
「優秀なやつは出世する義務がある。
なぜか?
多くの部下を幸せにするためにだ。
お前が幸せに出来るヒトは恋人だけじゃない。
仲間もだ。
そのためには権限が必要だ。
そして、その権限を得るためには実績が必要だ」
啓二がそこで反論する。
「じゃあ、なんで健一さんはえらくなってないんですか」
「おれは有能じゃないかならな」
即答した。
そして思い直して言葉を継ぐ。
「いや、それは逃げだな。俺は文字通り逃げたんだ。
俺はヒトの幸せを背負う勇気がなかった」
「……勇気……」
「俺には啓二たちの幸せに責任を持てる勇気を持てなかった。
臆病者のオッサンってわけだ。
でもそのままは嫌だ。
そう思って独立しようと思ったんだよ」
タカが言う。
「やせ我慢ってやつだな。嫌いじゃあないぜ。そういうの」
「お褒めのお言葉と受け取っとくよ」
三田さんが言う。
「まあ、きっとそのやせ我慢は一生続くんだろうな。俺たち全員」
「違いない」
タカがまた笑いながら言った。