働きがいと雇用の流動化
あんたにとって働きがいってのはなんだって言葉にできるかい?
なんかね。こんな記事読んだんだよね。
この記事で紹介されている会社は例年の5倍ものコストを掛けて新入社員を取ったんだと。
でも1ヶ月で半分やめてったんだと。
これさ。
会社存続の危機になりかねない話じゃんか。
確かに俺の勤めている会社でも入社1ヶ月でやめちまったなんてやつの話は聞く。
システム屋の場合、入社してしばらくは新人研修だけで過ごしていることが多いから、研修だけで会社を見限ったってことになるんだよな。
#判断が早い
この記事で紹介されている会社は新人研修なしで現場配属したってことなのかな?
今回は雇用の流動化が進む中で働きがいって言葉がどんな意味を持っているのか考えてみる回だ。
ちっと俺たちの仕事仲間の気持ちってやつを想像してみようぜ。
現場社員さんの意見
やめてしまった社員にインタビューは出来ないから、この会社の人事担当のヒトは所属部門の上長や社員にインタビューしたんだそうだ。
結果出てきた言葉。
「弁が立つが、やることをやらない」
うん。そりゃ困る。
要するにやりたくないことをやらない理由を述べたくるってのをその新人社員さんたちはしていたって評価なんだな。
で、想像するコミュニケーションはこうだよな。
「いいからやれよ」
現実問題、現場での作業は待ったなしなんだからディベートをしている余裕はない。
目の前にある作業を黙々とこなす必要もあるだろう。
新人社員さんの感覚を想像する
ただ、「弁が立つ」ヒトからすると見えている光景が違う。
「説明したのになんで会話にならないんだ?」
ってなりそうだよな。
オッサンともなると、やらない理由じゃなくて、こうした方が良い理由ってのが仕事では求められるってのを肌感覚として持っているもんだけれど、新人社員さんにそれを求めるのはちと難しいよな。
俺がワカゾーの頃はサブロク協定なんてものはなかったので、ひたすら長時間労働をこなす中で、その肌感覚ってのを身につける事が出来たってのはあると思う。
でも今の若者にはそれが出来ない。
短い時間の中で、会社の理屈とか部署の理屈ってのを感じ取る才能がいる。
しかもその理屈を教えてもらえることはほぼない。
「考えるな、感じろ」とか燃えよドラゴンばりに言われることもあるだろう。
ワリカシ詰んでるな。
働きがいとやりがい
上の記事でも書かれていることだけれど、働きがいとやりがいってのは違うもんなんだよな。
やりがいってのはプロジェクト的な仕事、つまり終わりのある仕事をこなしたときに感じるもんだと思う。
自分が「やった」事の結果が明確に見えるからね。
対して、働きがいってのはちと難しい。
終わりのない仕事をこなす中で、その仕事を続けることにどんな喜びを見いだせるのかってことだからね。
そこには仕事内容そのものよりも、仕事環境(空調や照明含む)や、仕事場での人間関係なんてのがデカい影響を持つ。
つまり働きがいってのは仕事を取り巻くものすべての影響を総合的に感じてそこで働く事に喜びを感じられるかってことなんだよな。
特にヒトとの関係ってのがもたらす影響ってのがデカい印象だ。
雇用の流動化が起きた世界
実際さ、雇用の流動化ってのが進んでるじゃんか。
ここで、正社員とそうじゃないヒトで処遇が違うってのが問題になっているってのがあると思う。
ただ、同一労働同一賃金ってのが実現された状態で、雇用の流動化ってのが進んだらどうなるんだ?
こういう新人社員が1ヶ月でやめるみたいなケースが増える気がしないか?
つまり仕事を覚える前に別の仕事をするってのが繰り返されるんだよな。
深く仕事を理解するってのが出来るヒトが減っていくってのが全体傾向になるんだろうな。
それさ、大丈夫なのか?
仕事ってマンパワー突っ込めば出来るってもんじゃないんだぞ?
仕事や仕事仲間への愛着みたいな究極的には感情が仕事の成果を左右するようなこともある。
そんな情緒的な何かなんて一朝一夕で出来るもんじゃないような気がするじゃんか。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちはどうやって働きがいを共有できるんだろうな?