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伝えるための信頼関係

あんたも誹謗中傷関連のニュースを連日見ているんじゃないかい?

実際、SNSでの誹謗中傷は数の暴力って側面があって、実際に命を落とした木村花さんについては、非常に同情的な意見がニュースでもSNSでも多く見られるようになってきたと思うんだよね。

で、改めて考えてみる。

俺たちは「それは違う!」と強く思ったときに、どうやってその思いを発信すればいいんだろうな?

俺たち全員が発信者であるSNS隆盛の今という時代。
そう言う意見をどう発信するのが良いのかってのは考えておいた方が良いことだと思ったんだよね。

なので、今回は反対意見をどうやって発信するのが良いのかを考えてみる回だ。

あんたも発信者なんだろ?一緒に悩もうぜ?

受け取るヒトにとっては「批判」と「誹謗中傷」は見分けがつかない

まず大前提として俺たちがする批判も誹謗中傷も受け取る側のヒトにとっては見分けがつかないってのが実態らしい。

なぜって?
大抵の場合は受け取るヒトと発信するヒトの間に信頼関係が構築できていないからだ。

あんたも誰だか知らないヒトから「あなたの考え方はこれこれこう言う理由でおかしいと思う」って言われたら、どんだけその理由が正しかろうと「巨大なお世話じゃボケ」ってなるじゃんか?

そもそも、俺たちには自由意志なんてものは無い。
俺たちがそう言う風に自分に対する意見に反応してしまうのはヒトと言う生き物として普通の反応ってことなんだと思うんだ。

そして、有名人に対して意見するってのは、その量が問題になってくる。

そのあたりはけんすうさんのこのnoteが詳しい。

一言で言えば「批判でも誹謗中傷でも量が来るとヒトは耐えられない」ってことなんだと思う。

たしかにその通りだと思うんだよ。
一人から「ば~か」って言われても光の速さでブロックすれば良いんだと思うけれど、1000人から「ば~か」って言われて1000回ブロックする頃には心がズタボロになるってのは想像に難くないよな。

信頼関係ができていない当人への批判は伝わらない

つまりはだよ。

俺たちが「ここはこうした方が良いよ」っていう意見は相手が受け止められる状況を作らないと、あっつー間に暴力になっちまうってのが現実らしい。

でも、そうだとしたら俺たちはどうやって自分の意見を発信すれば良いのかって話になるよな。

まず考えられるのは「当人に直接伝えない」って方法だよな。

木村花さんの件では直接本人へのリプライで誹謗中傷やら批判やらが集まっちまったのが悲劇を産んだってことなんだと思う。

じゃあ、例えば木村花さんのテラスハウスでの言動について、「こうしたほうが良い」ってのを自分のブログなりで書いていたらどうだったろう?

うむむ、ダメージはちっとは減るかもしれないけれど、本当に木村花さんに対して幸せになってほしいとしての意見だとすれば、その方法で木村花さんに届けられたか?って思うと伝わらないだろうなあ。

百歩譲って、エゴサーチとかで木村花さんに届いたとしても、そのブログの意見を木村花さんが飲み込むってのは現実的に不可能だよな。

ってなると、あんたが相手のことを本気で思って改善提案をしたいときにはどうすれば良いんだろう?

相手があんたの意見を飲み込むために必要なもの。
それは多分あんたに対する相手の信頼度だよな。

このヒトは自分のファンだ!
とか
このヒトはいつも自分に味方してくれている!
とか
このヒトの意見はいつも信頼できるものだ!
とかね。

つまりは、あんたがどんだけ相手のことを思っているか、どんだけあんたの意見が有用かってやつを常に相手に対してプレゼンしていかないとダメってことになるよな

いやいや、どんだけの手間暇だよって?
でも、たしかに相手のことを真剣に思っての意見だとすれば、それを届けるのはあんたにとってもとても大切なことなんだもんな。

意見に思いを乗せる。

そのためには信頼される自分であり続けなければいけない。

自分を磨き続けることで相手を救いたい。
そう言う事かもしれないな。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは、俺たちの思いでどれだけのヒトに俺たちの意見を届けることができるんだろう?

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