なあみんなで幸せになろうぜ?
うむぅ、幸せって何だっけ?
そんなポン酢醤油のCMみたいなことをふと考えること、あんたにもあるかい?
#時代が違う
このネットが生活と一体化している世界の中で、俺たちは様々なことに興味をいだきながら生きているよな。
やれ、あの芸能人が結婚しただの、やれアベノマスクがちっこいだの。
俺たちの興味ってやつはありとあらゆる分野に広がっていっているよな。
そして、その興味ってやつに従って俺たちはものすごい勢いで情報を漁る日々を過ごしているんだよな。
あんたもそうだろう?
ちょっと気になるキーワードがあれば、それに飛びついてググるってのが日常になっているよな?
今回はそんな俺たちがどうやって「幸せ」を感じることができるのかってことを考えてみる回だ。
情報が満ち溢れているからこその、俺たちにとっての「幸せ」。
一緒に考えてみようよ。マジで。
考える切っ掛けをくれたnote
例によって、俺にこんな事を考える切っ掛けをくれたnoteがあるんだよ。
それがこれね。
天才エッセイストのちゃこさんことみくりや佐代子さんだ。
ちゃこさんの文章って、ホント素直に感覚として染み渡ってくるというか、俺たちのATフィールドをびっくりするくらいに通り抜けてくる文章だと思うんだよな。
#伝われ
今回のちゃこさんのnoteは「私の幸せは私が決める!」ってことなんだと思うんだけれど、これってさ、スゴイことだよな?
いや、だってよ?
あんたはあんたの幸せってこれですって言い切ることができるかい?
楽しいことは「これ」ってのはあるかもしれないよ?
でもその楽しいことをしていれば幸せって言い切ることって何気に難易度高くね?
幸せってそれだけ複雑怪奇なもんだと俺は思うんだよね。
何もしないって幸せ
俺とかは、ワリカシ活動量が少ないタイプだと思うので、「何もしない」ってことに幸せを感じたりすることもある。
若い頃は月の残業時間が100時間を普通に超える生活だったってのもあるかもしれないけれども、余暇ってものに対する価値観がすげぇ高いんだよね。
何もしないってことで、俺たちはいろんなことを経験できるんじゃないかって漠然と思ったりもするんだよ。
まあ、その感覚って誰かをワクワクさせるようなキラキラ感を産み出すようなものではないってのはそう思うんだけれどさ。
それでも、何もしないってのは俺の中でスゴイ価値を持っているってのは事実に違いないんだと感じているんだよ。
何かするって幸せ
それと同時に、何かするって幸せも感じるわけなんだよ。
仕事だって暇よりは忙しいほうが絶対楽しいって思うし、毎日noteを書くってのも、結構な楽しさがあるんだよ。
あんたの感覚にマッチしたときにもらえているんだろうっていう「スキ」も俺の人生にまあまあスゴイ影響を与えてくれている。
マジだぜ?本当にあんたの「スキ」は俺を相当幸せにしてくれているんだ。
で、その俺を幸せにしてくれているあんたの「スキ」も俺のこのnoteを投稿するって「何か」から始まっているって考えるとだよ。
まあ、このnoteを書くって事そのものが、俺にとっての幸せそのものなのかもしれない。そう思えるわけなんだよね。
俺たちは俺たちを幸せにできる
そう考えるとさ、俺たちは俺たちを幸せにするってのは普通にできることなんじゃないかって思えないか?
俺たち自身だけじゃない。
俺たちの発信で誰かがハッピーになるってことをさ。
何を思い悩むわけでもない。ただ、自分がオモロイと思ったことを書き続けるだけで「スキ」が発生して、その「スキ」が俺を幸せにしてくれる。
なんだこの幸せ循環。
SNSの発信が色んな闇を生み出しているって言うけれど、それと同時にこう言う幸せも生み出している。
だったら、もう少し俺たちはこの幸せを産み出すコミュニケーションを意識してみても良いんじゃないだろうか?
なあ、あんたはどう思う?
俺たちの日々感じている感覚は、誰かを幸せにできる可能性があると思わないか?