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肯定の感情・否定の感情
あんたは誰かが誰かを否定したり、拒絶したりするって光景を眺めているかい?
ヒトはどうしたって社会の中で生き延びていくしかない生き物だ。
社会の中で生き残る以上は、ヒトとヒトの関係ってのに非常に気を使っていく必要がある。
そんな気遣いの延長で、価値観の違いだったり、シンプルに自分の活路をふさぐような行動をされたりして、相手のことを否定するような気持になることは普通にあると思う。
ただ、その誰かを否定するって行為を「やりたい」って思いながら過ごしているヒトってのは少数派なんじゃないかって俺の肌感覚は俺に伝えてくるわけよ。
それでも誰かが誰かを否定するって感覚はなくならないし、完全になくなったら、それはそれで決定的な歪みみたいなものを生み出すことになるような気もするんだよな。
今回はヒトがヒトに感情を持つってことについて考えてみる回だ。
まあテーマがでか過ぎなんで、話もまとまらないこと請け合いだけれど、ちっと俺の一人ブレーンストーミングに付き合ってくれよな。
ヒトを否定する情報
まあ、なんでこんなことを考え始めたのかっていうと、こんな記事を見たんだよね。
俺さ、サンドウィッチマンってワリカシ好印象を持っているんだよ。
最初に見たのはM1かなんかでやっていた血液型に対するアンケートをするくだりのあるコントだった気がする。
あなたの血液型はなんですか?
A、A型、B、O型、C、B型、D、AB型
ってやつ。
……しまった文字にすると決定的にオモロさが伝わらないぞ。
@sando310110000 サンドウィッチマン『街頭アンケート』M-1優勝ネタ一本目#サンドウィッチマン #コント #爆笑 #爆笑ネタ #漫才 #芸能人 #芸人 #街頭アンケート #mー1グランプリ #Mー1 #優勝ネタ
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なんかTiktokのしか見つからんかったけれど、これね。
なんか腹抱えて笑った記憶があるんだよな。
で、M1きっかけでブレイクして、今や見ない日がないんじゃないかってくらいに存在感を放っている感じがするんだよな。
で、このサンドウィッチマンが楽天イーグルスで問題を起こしたかもしれないヒトに対する感想みたいなことを言う中で、擁護する余地があるかもしれないし、ないかもしれないみたいなことをご自身のラジオ番組の中で発言したんだそうだ。
あ、楽天イーグルスの選手ご本人は問題をお認めになっているのね。
で、さっきの記事はその選手に対するサンドウィッチマンの発言に対してネット上で批判がいっぱい出ているよっていうことをネットで報じている。
な?
なんかそう書くと何とも言えない違和感がないか?
違和感の根っこを考える
この違和感ってのはどこから生まれているんだろう?
現実的にだよ。
誰かが誰かのファンだとしてだ。
そのファンの対象となるヒトが何かしら間違いを起こしたとして、ファンとしてそのヒトをかばいたくなるってのは、まず自然な感情だと言っていい気がするじゃんか。
で、さっきの記事は構造的にこういうものだと思う。
一般的に問題とされる行動をしたヒトがいるという情報
1.の情報に対して賛否双方の感情があるという情報
2.の情報の内、賛の方の感情があるという情報
3.の情報に対して否定の感情があるという情報
さっきの記事って4.の情報なんだよな。
なんつーか、一つの話題をこすりきって出し殻にするまで使い切ってやるぜ!っていうある種の執念みたいなものすら感じる。
俺が違和感を覚えているのは、この4.の情報に対する一般的なニーズがあるってことなんだよな。
ぶっちゃけ、どうでもいいじゃん。そんな情報。本来ならさ。
だって、感情なんだもんよ。
そらあ、いろんなヒトがいろんな感情を持つもんだろうよ。
感情表現の否定の先
ただ、その何きっかけで沸き起こるかわからない感情を「表現する」ってことに一定のハードルがあるって現実はあると思う。
犯罪を肯定する感情を何も考えないで垂れ流しにするってのはいろんな問題を引き起こしそうだしね。
たださ。
この感情を表現するってことそのものを否定し始めちまうと、人間関係ってのの難易度が格段に跳ね上がる気がするのは俺だけか?
あのヒト嫌い。
あのヒトを嫌いっていうあのヒト嫌い。
あのヒトを嫌いっていうあのヒトが嫌いっていうあのヒト嫌い。
いやいやいや、どんだけ嫌いを積み上げていくんだよって話だ。
ややこしいのが、この感情ってのがその感情を持ったヒトがコントロールできるような代物じゃないってことだ。
つまり、上のどの感情を切り取ってみても、その感情が「そこにあった」ことはどうにもできないし、これから似たような感情を誰かが感じることもどうにもできない。
そんなどうにもできないことが積みあがって「嫌い」で世の中が満たされていく。
いやいや、それって俺たちが望む世界なんだろうか?
俺たちができること。
それってもしかしたら「否定」だけじゃなくて「肯定」の感情表現にも意識的に目を向けるってことなのかもしれないな。
なあ、あんたはどう思う?
このヒトがつむぎだす様々な感情表現と俺たちはどう向き合っていけば良いんだろうな?