「達成」をゴールにしない物語
あんたも泣ける物語ってのがあるかい?
鬼滅の刃の映画だったり不滅のあなたへだったりと最近は泣けるアニメが結構あるよな。
実に様々な物語が俺たちを泣かせにくる。
煉獄杏寿郎の生き様に涙して、フシの絶望に近いような状況に涙する。
そこでちょっと考える。
この涙って俺たちが育った環境が前提にあると思ってたんだけれども、実に多くの国のヒトが俺たちと同じ様に涙しているんだよな。
生まれ育った環境が全く違うはずのヒトが同じ様に涙する。
今回は物語に涙するってことを考えてみる回だ。
俺たちの感情がどうやって湧き上がってくるのか。
ちっと考えてみようぜ。
日本文化という土壌
泣けるアニメってのは、それなりに思いつく。
「君の名は」やら「天気の子」でもぐしゃぐしゃになって泣いたし、そう言うリアクション動画が様々な国のヒトによってアップされている。
そこでフト考える。
うむ?
泣ける物語ってジャンルって結構日本発のものが多いのか?
確かにグリーンマイルとかタイタニックとかそれなりにあるとは思うんだけれども、この「泣き」の文化ってあんまり世界的にはジャンルとして確立してない気がするんだよ。
「泣き」よりも「爽快」とか「達成」とか「悩み」とかそう言う何らかのことを成し遂げるような物語が多い気がする。
鬼滅の刃の映画ではある意味では成し遂げた状態ではあるものの、基本は敗北の物語じゃんか。
不滅のあなたへに至っては誰ひとりとして幸せにならない物語が展開されている。
まあ、それらはあくまで完結時には達成があったり、まだ完結していないってのもあるかもしれない。
でも、DEATH NOTEなんか完全に敗北の物語じゃんか。
友情・努力・勝利のジャンプで敗北の物語が展開されていたんだぞ。
火垂るの墓も完全に敗北の物語だ。
監督ご自身はあれはお涙頂戴ではないって言ってたらしいけれどね。
なんで日本で紡ぎ出される物語は達成感がないことが許されているのか?
いろいろ考えてみたけれど、多分俺たちの感覚の根っこに「敗戦」があるってことなんだろうな。
多分、大東亜戦争での敗戦がなければ宇宙戦艦ヤマトは出来上がらなかった。
おそらくガンダムも出来上がらなかった。
宇宙戦艦ヤマトは他者を虐げてでも生き残ることを選択したヒトの物語だし、ガンダムは革新を起こすものが旧体制に敗北し続ける物語だからだ。
君の名はで達成されたかに見えた瀧と三葉の恋物語は天気の子で直接の関係がない二人の恋物語を成立させるために打ち砕かれた。
諸行無常。
この概念が俺たちの大前提としてあるってことなのかもしれないな。
諸行無常という背景を持たないヒトの「泣き」
で、ちょっと思う。
なんで諸行無常という感覚を持っていないはずの様々な国のヒトたちは日本の「泣き」の物語を受け入れられるんだろう?
諸行無常は仏教的な感覚だと思うんだ。
キリスト教やイスラム教だと、神との「契約」が前提にあるのでもっとドライかつ結果を求めているところがあると思うんだ。
それでもキリスト教圏のヒトもイスラム教圏のヒトも煉獄杏寿郎の敗北に悲しむし、フシの周囲のヒトが次々に理不尽な死に見舞われ続けている姿を見て涙している。
そう考えてみると、もしかすると涙の向う側にある感覚は日本人の感じるものと諸国のヒトの感じるもので違うのかもしれない。
確証はまったくないから、完全に俺の妄想なんだけれど、諸外国のヒトは物語の涙の先に勝利なり達成なりを見ているような気がするんだ。
鬼滅の刃であれば鬼舞辻無惨に対する勝利を見ているだろうし、不滅のあなたへならノッカーに対する勝利を見ていると思う。
実際、これらの作品に対するリアクション動画はそれなりにアップされている。
でもガンダムのような絶対的な勝利者が存在しない作品って、諸外国の皆さんのリアクションってそんなにないんだよな。
興行収入で比較しちゃうと鬼滅の刃とガンダムでは文字通り桁が違う。
その辺の理由の一つにそのカタルシスのなさってのがあるような気がしたんだよ。
日本人であれば諸行無常の感覚を持って物語を受け止める方法があるんだけれども、キリスト教、イスラム教のような一神教の世界観ではそれが許されない。
まあ、日本国内での興行収入も鬼滅の刃とガンダムでは桁が違うので、一概に日本人がどうのって言えるわけでもないんだけれどさ。
なあ、あんたはどう思う?
「泣く」ことを促す物語の先に俺たちは何を感じているんだろう?