スキという羅針盤
あんたの身の回りに子供はいるかい?
我が家には小学3年生の息子がいるわけだけれども、彼は結構多くの習い事をしている。
くもんにアートにプログラミング教育、そして空手。
親としては子供に将来の可能性を少しでも広げて欲しいってエゴからこんなふうに多くの習い事をさせているってのが現実だと思うんだけれども、本院からすると、ワリカシ苦行めいたところもあるのかもしれないとは思っているんだよ。
俺個人の考えとしては、小学生までの勉強は社会生活で普通に使う知識なので詰め込みでもなんでも良いから身につけることの意味って大きいと思うんだ。
でも中学以降の勉強って直接社会生活で使うことってレアだよな?
あんたも2次方程式を社会生活の中で使うことってほとんど無いだろ?
今回は子供たちの学びについて考えてみる回だ。
俺たち大人はどうしていけば良いのか。ちっと一緒に考えてみないかい?
子供たちの7割は中学までにスポーツを辞める
今回このことを考える切っ掛けをくれたnoteがあるんだ。
三浦優希さんはアイスホッケーの選手で日本人初のNHLの選手になった御仁だそうだ。
その三浦さんがアメリカでは70%の子供たちが13歳までにスポーツを辞めていると言うデータを見たんだそうだ。
これって結構衝撃的なデータだよな。
子供たちは体を動かしながら人間関係やら精神やらを鍛えていくもんだと思うしさ。
で、なんでそんなに多くの子供たちがスポーツを辞めているのか?
三浦さんは「楽しくないから」って分析をしてくれている。
それってスポーツそのものが楽しくないって意味か?
いや、そうじゃない。
多くの場合、スポーツを楽しいものでは無いものにしてしまっているのが親だっていうんだよな。
三浦さんは、アメリカにおいては親の子供にたいする関わり方が一つの原因だって分析をしてくれている。
アメリカの場合、子供を一人にするってのは一部の州では法律違反にすらなるってお国柄だ。
なので、スポーツの練習をするのでもなんでも親は少なくとも送り迎えをする必要がある。
で、多くのアメリカの親は子供たちの練習風景を見ながら子供たちにあーだこーだと声をかけていくってのが普通らしい。
野球なら「もっと駆け出すのを早くしろ!」って感じ。
ガンダムなら「左舷!弾幕薄いの!!」ってやつだな。
#だいぶ違う
で、子供たちとしては、うまく出来ないってことが刷り込まれてしまうので、当然楽しくない。
結果として子供たちはスポーツを辞めているって構造らしい。
それって誰も幸福にならないやつだよな。
子供たちが「スキ」を見つける大切さ
現実問題、社会で子供たちがおとなになった時に生き抜いていく力をつけるって目的にそった活動を大人である俺たちはする必要があるよな。
残念ながら冒頭に触れたとおり、学校で習うことのほとんどは直接社会生活で使うことのない知識だ。
感覚的に言うと、中学高校の勉強ってのは「我慢する練習」くらいにしかならないと思う。
特に今の時代の流れの速さは俺たちオッサンがガキンチョの頃とは比べ物にならない速さだ。
子供たちは自らスキルを学び取っていくってのがどうしても必要になってくる。
そこに必要なのは「あーしなさい、こーしなさい」って俺たち大人が言うことじゃないはずだ。
何しろ、俺たちが生き抜くために身に着けてきたスキルは今の世の中で通じるはずが無いもんな。
俺たちの中に正解は無いってことを大人として自覚する必要がある。
じゃあどうすれば良いのか?
子供たちにとって最も大切なのが「自分が何がスキか」ってことを確信することなんだと思う。
今の世の中、「スキ」をマネタイズしていく方法はどんどん増えている。
言い換えれば生き方の多様性がどんどん細分化されていっている。
その中で自分の核となる「スキ」が無いと、自らスキルを取りに行くってのは至難の業だよな。
何しろ目的が曖昧だと、スキルそのものも曖昧になっちまうからな。
AIだのブロックチェーンだのの技術革新はいよいよ俺たちの貧富の差を拡大することは想像に難くない。
言われたままのことを出来るだけじゃ生き残っていけないんだ。
自ら行動するための羅針盤。それが「スキ」だと思うんだよ。
俺たち大人は、子供たちがその羅針盤を手に入れる手伝いをするくらいしか出来ないと思うんだよな。
なあ、あんたはどう思う?
子供たちの「スキ」を俺たち大人は理解できると思うかい?