私人逮捕と言う行為
あんたはこのところニュースとして流れてきている「私人逮捕」って言葉を聞いたことがあったかい?
ぶっちゃけ、俺はこの私人逮捕って言葉について聞いたことがなかったんだよね。
しかも何?
YouTubeで一つのジャンルとして成立するくらいな状況なの?
何も考えない俺の感想としては「世も末だなぁ」というやつだった。
なんつーか、逮捕と言う行為ってさ、やる方もやられる方もものすごい感情を揺さぶられる行為だと思うんだよね。
しかも高確率でネガティブな感情を刺激されるやつ。
なので、そんなことを積極的にやっているヒトが一定数居るってことについては、なんかしらの背景みたいなものがあるように感じたんよ。
今回は私人逮捕と言う行為が俺たちの生活に与える影響について考えてみる回だ。
まあ、この行為が世の中で求められているって現実について考えてみようぜ。
私人逮捕の法的な位置づけ
まずは私人逮捕ってのがどういう行為なのかってことからだよな。
困ったときのWikipedia先生ってことで聞いてみる。
つまりは現行犯については、誤認逮捕の可能性が無いし、そもそも秩序を守るに当たっては警察力がその場に居合わせる可能性は低いから、一般人でも逮捕出来るようにしとこうぜってことなんだな。
刑事訴訟法の213条ってやつで私人逮捕ってのが法的に認められているってことなんだそうだ。
やっぱ、ポイントは「現行犯」ってことなのかな。
つまり「犯罪が起きたあと」でしか成立しない話ってことなんだな。
警察の仕事ってのは基本的に「手遅れ」でしか成立しない。
そんなセリフを思い出したりするよな。
正義を成したいと言う気持ち
最初の記事に書かれているヒトは私人逮捕と言う行為についてリスクを承知の上で行動をしていたってことらしい。
流れてくる情報を鵜呑みにしての判断にしか過ぎないけれどね。
ただ、どうも最初の記事のヒトはYouTubeの広告も停止されている状態だったってことだから、ぶっちゃけ収益って意味だけ考えると私人逮捕って行為を続けるメリットってのはなかったわけじゃんか。
それでも私人逮捕を続けたってのは並々ならない感情ってのがあったんじゃないかって想像をするわけよ。
仮にだ。
そのリスクを承知の上で私人逮捕と言う行為に魅せられたってのが現実だったとして、その感情はどこから沸き起こってきたものなんだろう?
最初の記事のヒトのことを事細かに知っているわけじゃないから、何を書いても憶測にしか過ぎないんだけれど、いつも俺が書いている通り、感情ってのは沸き起こることそのものは本人には抑制できないものじゃんか。
ってことは、いつ何時俺たち自身がその「正義を成したい」という感情に支配されるかわかったもんじゃないって事になっちまう。
こいつは実にいただけないんだよな。
そう考えると、俺たちは「正義とはなんぞや」ってのを普段からある程度言葉にしておいて、その正義という価値観を自分の感情からある程度切り離しておく必要があるってことなのかもしれないな。
正義と言うフィクション
で、その「正義」。
俺たちはガキンチョの頃からこの「正義」と言う言葉とともに育ってきていると思う。
戦隊ヒーローモノではいつだって正義の味方が重火器を含めた兵器を用いながら「悪者」をやっつけ続けている。
少女モノのアニメだってセーラームーン以降、女の子が殴る蹴るの暴行を用いて正義を貫くようになった。
子どものためのコンテンツだけじゃない。
水戸黄門みたいな勧善懲悪の物語に対するニーズってのは尽きることが無い。
半沢直樹シリーズが世の中に受け入れられているのは、その「正当な暴力によって悪者が懲らしめられる」と言う構図にカタルシスを感じるヒトが一定数居るってことを示していると思うんだよ。
そう考えると、大人も子どもも「正義」って存在の魅力に取り憑かれているってわけだ。
いや、そう言う「正義」を取り扱ったコンテンツを一概に否定したいわけじゃないのよ?
その「正義」は高確率で「暴力」を伴っている。
その事実をキッチリ考えておく必要があるんじゃないかって思ったんだよ。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちが求めている「正義」と「暴力」。
子どもたちに何をどうやって伝えるのが良いんだろうな?
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