日本のソフトが世界に出ていけない理由
あんたは日本企業が世界で活躍できていない実態を感じているかい?
システムエンジニアなんてIT業界に身をおいていると、身の回りのグローバル化ってやつが、本当に実態として進んでいることが感じられる。
すぐ隣の机で韓国や中国、インドなどの多国籍な人々がシステムを必死になって作っているのを見て取れるからね。
そんなふうにものづくりの現場にはすごい勢いでグローバル化が入り込んできている。
それに対して、日本のソフトウェア業界ってやつは、全然世界に受け入れられていない。
今回は、そんな世界に受け入れられていないIT業界の原因ってやつを考えてみる回だ。
内需が先細っているなか、俺たちはどうやって生き残っていけばいいんだろうね?
日本のITが独自路線をひた走っていた時代
このうん十年。日本のIT業界はものすごい勢いで外国の製品を受け入れてきた。
俺たちがガキンチョだったころ、まだパソコンではなくマイコンが家庭に入り込んできた頃。
あんたの身の回りにあるIT製品はどんな物があったか思い出せるかい?
まずマイコンなりパソコンなりはどこ製の製品だったか思い出してほしい。
NECと富士通とシャープ。
こいつがほぼ市場を独占していたよな。
「C&C」だの「来てみて触って~」だの「目の付け所が~」だの日本企業はこぞってITを日本市場で売りさばいていた。
そもそもOSとBASICがほとんど同じ位置で語られているような時代だ。
OSを共通化するって思想すら製品には盛り込まれず、各々のメーカーが独自のOSを採用していた。
当然、そこには情報の共有だの、通信だのは置き去りにされている状態だった。
まさに、国どころかメーカー単位でITのガラパゴス化が推進されていた状態だった。
そこに黒船のごとくにやってきたもの。
そいつがDOS-Vであり、Windowsだった。
統一化という黒船
DOS-VというのはIBMの規格に乗っかって、色んな会社でパソコンを作れるというものだった。
それまではNECならNEC、富士通なら富士通のパソコン同士でしかデータを共有出来なかった。
まだパソコン通信しかしていないような状態では、こいつは大きな問題にはならなかった。
自分のところの規格が一番便利ってやっていればいいくらいの広まりっぷりだったからだ。
ところが、インターネットで全てのパソコンがつながるという夢が現実味を帯びてきた時、ガラパゴスな規格の持つ力は急激に衰えた。
同じ規格でデータ共有が行えない。
それはもはやパソコンとしての役割を果たしていないくらいの勢いで考えられるようになった。
その状況がDOS-V規格のパソコンが売れ行きを刺激したのは言うまでもないことだよな。
日本のOSが世界標準になれなかった理由
では、なぜ日本企業は自分たちの考えた規格をグローバルスタンダードに出来なかったのか?
それは、言い換えればなぜ日本にはマイクロソフトが出来なかったのかってことになるかもしれない。
こいつにはものすごく色んな意見があると思う。
俺も色んな意見の本やらネットやらを読んでみたんだが、その中でももっとも腹落ちしたのがこの意見だった。
「日本のソフトウェア産業は外国を見ていない」からだ。
パソコン黎明期のガラパゴス状態にせよ、今現在のソフトウェア産業にしても、完全に日本国内を見ているんだ。
日本製のソフトウェアで世界に受け入れられているソフトって言って、あんたはぱっと思いつくだろうか?
もしかしたら、Winnyはその可能性があったかもしれないと俺は思うのだけれど、その夢はあのWinny作者を巡る訴訟騒ぎで潰えてしまった。
結果、システムの中核となる技術はほぼ全てが外国製って事になっている。
OS、データベース、通信制御、ジョブ制御、どこを見てもグローバルで戦えている日本製のソフトウェアは無いんだ。
これは日本のソフトが他国に対して積極的に取り組んでいないことによる当然の帰着ってヤツだと思うんだよね。
孫正義の世界戦略
そんな中、YahooとLINEの経営統合ってニュースが飛び込んできた。
孫正義さんにとって、日本という国が置かれている現状は、結構客観視しているんだと思う。
今のヤフーには世界に出ていけないって判断。多分、正確に状況を見ているんだと思う。
そこで、韓国のLINEの力を合わせることで、おそらくバーコード決済でのアジア圏への進出を狙っているんだと思うんだ。
いや、バーコード決済は一部か。
おそらくは、GAFAとよく比較されるBATH(「バイドゥ」「アリババ」「テンセント」「ファーウェイ」)にどうやったら日本がねじ込んでいけるかを考えているはずだ。
まあ、どうやったら日本にそれができるのか?
そいつを考えるのは、俺たちオッサンの役割のはずだよな。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは世界の人々をソフトで幸せにできるんだろうか?