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自分と仲間を鼓舞する言葉

あんたもネガティブな感情ってやつに振り回されることってあるかい?

ヒトとして生きてりゃ、ネガティブな感情ってのは絶対に経験するし、これから先もその感情から逃れるってのは無理ゲーだと思ったりもする。

あいつうぜ~よなぁ。
なんで俺ばっかり。
体調が全然回復しない。

ありとあらゆる負の感情ってのが俺たちの中に浮かび続ける。

ところがだよ。
このネガティブな感情ってのが俺らにとって結構な負荷をかけるってのも事実じゃんか。

つまりは、俺たちはこの負荷に対してどうやって耐えて行けば良いのかって作戦を練る必要があるってことなんだよな。

今回は俺たちの中に生まれるネガティブな感情の扱い方を想像してみる回だ。

ちっとセルフコントロールってやつを改めて見直してみようぜ。

ネガティブな感情

今回このネガティブな感情ということについて考えてみたいと思わせてくれたのはこちらの記事。

飲食店を始めとした様々な事業をなされている経営者である辻さんだね。

大前提としてネガティブな感情に支配された状態だとヒトは前に進めなくなってしまうってことを書いてくれている。

それはホントそうだと思う。
「どうせ俺なんか」
それは自分の動きを止める呪いの言葉だとすら思う。

自分の動きを止めてしまったら、周りの動きすらも止めてしまうことも普通にあると思う。
まさに呪いなんだよな。

そんな呪いの言葉を発するってのが意味のないことだと分かりつつ、俺たちはネガティブな感情を俺たちの心に抱えちまう。

だって、ネガティブな感情の発生そのものは俺たちはコントロール出来ないんだから。

他人という要素

辻さんの記事を読ませてもらって思ったことがある。

なるほど、俺たちはネガティブな感情を感じるにあたって高確率で「他人」ってのが必要なんだなって。

仕事仲間がなんかミスしたとする。
「なんだよあいつ?」ってネガティブな感情が沸き起こる。

友達となんかイベント起こしてみようとしたときに、友達が乗り気になってくれなかったとする。
「なんだよあいつ?」ってネガティブな感情が沸き起こる。

人間ってのはヒトの間という漢字で表現する。

ヒトとの関係ってのは、俺たちの生き物としての特性として欠かすことが出来ない要素だよな。

だからこそ、俺たちは隣人のことに思いを馳せるし、自分の存在価値みたいなものを隣人の評価に委ねるなんてことが起きるわけだ。

ネガティブを翻訳する

だとすればだよ。
つまりこう言うことだろ?

ネガティブな言葉を発することで、周りにネガティブが伝染していく。
隣人の評価が自分に影響を及ぼす逆のことが起きる。
自分のネガティブな言葉が相手のネガティブな感情を作り上げちまうってことだ。

問題は「言葉」なんだよな。

俺たちヒトは言葉というインタフェイスでしかコミュニケーション出来ない。
補助的な情報として映像だとかを使うことはあるけれど本質は言葉じゃん。

だったらだよ。
俺たちはネガティブな感情をポジティブに翻訳するって方法について本気で考えておかないといけないってことになるのかな?

「あいつが真面目に働かないから売上が上がらない」

「あいつのやる気を出させれば売上が上がる」

みたいな。

昔見た「夢をかなえるゾウ」のドラマの中でもこんな事言ってた気がする。

「ピンチのときこそ、運がいいと言え」って。

理屈的には「運がいい」って自分の言葉がインプットになって、自分の現状認識の「ピンチだ」って状況と、「運がいい」って言葉とのギャップを脳みそが感じるらしい。

そのギャップに脳みそは耐える事が出来ないから、なんとか「運がいい」って状態に現状の認識を変えに行くからポジティブに動きやすくなるってことらしい。

もちろん、万能性のある話じゃないとは思うけれども、前の定例プロジェクトミーティングでこんな言葉をもって話してくれた先輩のことを思い出した。

「俺たちは強い!」

スラムダンクのあのセリフだ。
あの言葉にどれだけ救われたか。
今、思い出しても涙が出てくる。

なあ、あんたはどうだい?

俺たちはどうすれば、ネガティブをポジティブに翻訳して周りを鼓舞することが出来ると思う?

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